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オセロ史を飾った百人の名選手の物語
(第4回)日本のオセロから世界のオセロへ


1. オセロ定石の誕生と命名
定石の誕生
定石の命名
2. 第5回全日本オセロ選手権大会 兼 第1回世界オセロ選手権大会日本予選会
☆打ちするか、しないかの1手がオセロの歴史を変えた!
第1回世界オセロ選手権大会日本代表(1名)決定戦
1個の余裕手は1個の☆打ちに勝り、余裕手2個ならヘラクレス!
3. 第1回世界オセロ選手権大会の開催
世界チャンピオン!
世界大会によせて ジム・ベッカー
決勝・黒・井上 博 〜 T.ヘイバーグ(チェス名人の猛追一歩及ばず!)
日本のオセロから世界のオセロへの第一歩


1.オセロ定石の誕生と命名

出発原図
 オセロは、初手から60手(終局)迄戦の連続するゲームです。ボックス(4つの点で囲まれた中央の四角)内から始まった戦は、中辺そして辺へと波及して行きますが、手数から次のように分類されます。

1〜15手(序盤戦)
16〜40手(中盤戦)
41〜60手(終盤戦)

 下図が有名なオセロの四大基本定石で、でき上がった形がそれぞれの鼠、牛、虎、兎の形をしています(「オセロの勝ち方」P38〜39より引用)。長年の風雪もものともせず、21世紀の現在も厳然と聳(そび)え立っている四大基本定石です。

オセロの四大定石

並び取り


斜め取り


縦取り


縦取り



 定石の誕生

 定石とは、名選手達がいろいろと試行錯誤を繰り返した末に(前回連載の第3回全日本女子の部決勝.水谷〜竹田戦参照)、造り上げた汗と努力の結晶です。序盤戦を有利に進めるために(少なくとも不利にならないようにするために)、この際、四大定石を是非覚えてください。
 次に例示した第5回全日本男子の部決勝.小林〜井上戦は、牛定石から出発しています。


 定石の命名

 全日本大会に北海道代表として出場した若松雅迪(まさみち)氏(高校教師)より手紙が来ました。「日本で生まれ、日本で育ったオセロです。いずれ世界大会も行われるようになるでしょうが、ここで、基本定石には日本固有の名前をつけたら如何でしょう。鼠、牛、虎、兎と図を同封します。」検討の結果この案は採用され、オセロ四大定石とその名“鼠・牛・虎・兎”は日本ではポピュラーのものになっています。

若松氏はオセロ普及活動28年!
 時はどんどんと流れてとどまることを知りません。21世紀を迎えて早くも3年目。既に全日本オセロ選手権大会は30回、世界オセロ選手権大会は26回開催され、オセロは日本にそして世界に定着しました。日本のオセロ競技人口は6000万人と推定され、特に小学生が昔も今もその殆ど全員オセロプレイヤーであるのが強味です。将来は日本人すべてがオセロプレイヤーの時代がくるでしょう。
 現在市販されていて、上記 鼠、牛、虎、兎の四大定石(絵入り)とその周辺その後の代表的打ち方が載っているのは、オセロ大観(近代文芸社刊)、オセロの勝ち方(河出書房新社刊)です。将来その英訳本が出るようになれば、いずれも親しみの持てる動物の名ですから、マウス定石、タイガー定石等も世界的にポピュラーのものとなってくるでしょう。



2. 第5回全日本オセロ選手権大会
兼 第1回世界オセロ選手権大会日本予選会
(1977.8.7.帝国ホテル)

井上博氏(男子)、水谷美貴子さん(女子)、石塚祐司君(少年少女)、田島昇氏(学生の部)初優勝

 4月より予選を開始、予選会場400ヶ所、延べ参加人数3万人、全国9ブロックより予選を勝ち抜いてきた172名の選手が一堂に会して行われた第5回全日本オセロ選手権大会は、史上最大最高規模の大会になりました。各選手の力量は又一段と向上し、決勝進出者も全部初顔です。


 ☆打ちするか、しないかの1手がオセロの歴史を変えた!
(白44迄の局面)
(原図) 黒番


 原図は、男子の部決勝.小林正洋(黒)・井上博戦で、井上氏が気合い鋭く白44を右上にX打ちした所です(黒さん、どうぞ☆打ちして下さい!)。但し、白44は気合いが入りすぎた10石損の悪手(正解は白C)で、ここで又形勢は逆転してます(黒よしになった)。
 原図は黒に訪れたチャンスの局面です。☆打ちするか(黒勝ち)、☆打ちしないか(黒勝ちなし)の二者択一を迫られた瞬間です。
(正解1図)断固☆打ち!
(正解2図)最善の応手
(正解3図)天王山に打つ(黒勝勢)!

 は最善の応手で、をBに打つのはb3の黒石迄返ってしまいます(4石損)。と天王山に打って白に手を渡し、C1とアが黒の余裕手ですから、黒は必勝(6手リード)の態勢です(正解3図)。

(実戦の経過)肝心の所で一休み(10石損)
余裕手の放出(最善手)
今更☆打ちしても(気の抜けたビール)
(実戦4図)天王山に打つ(白優勢)!

 (実戦の経過)……は絶好のチャンスボールを見送った痛恨の敗着。予選参加3万人、4ヶ月かけて戦われた終着駅・オセロ日本一の座(事実上の初代世界チャンピオン決定戦?)が、唯この1手が打たれた瞬間に幻となって消えてしまったのです。
 原図の局面で、小林氏は「☆へはいつでも打てる。ここは“1石返して手待ち”して、ひとまず様子を見よう。」という軽い気持ちでと打ったのですが、この手は白に“1石返しの手待ち”の好手を与える結果となって大失敗。はこの局面での最善手ですが、と白に天王山を打たれては黒アウト!(実戦4図)と(正解3図)との差は、天地の差、チャンピオンになるかならないかの差です。
 小林正洋氏は、下原章憲氏(第1回2位)、大山泰弘氏(第2回3位)に続くC社のエースでしたが、今回も今一歩の所で敗退です。かくて、井上博氏(ミキモト28才)は3年間の努力が実って初優勝、「念願の全日本チャンピオンになれて感無量です。…」と挨拶しましたが、これが井上・丸岡時代の幕開けとなりました。


男子決勝、井上博氏(左)対小林正洋氏
第5回全日本男子決勝1番勝負

(牛定石でスタート)
黒・小林正洋(東京)
白・井上 博(東京)8石勝

 第1回世界オセロ選手権大会日本代表(1名)決定戦 (1977.8.26連盟本部)

総当たり・先後2局打ち本人\相手 井上 水谷 石塚 田島 順位
全日本男子チャンピオン・井上 博 五段 ○○ ○○ ○○
全日本女子チャンピオン・水谷 美貴子 五段 ●● ○○ ○○
全日本少年少女チャンピオン・石塚 祐司 三段 ●● ●● ○●
全日本学生チャンピオン・田島 昇 四段 ●● ●● ●○

 上記の結果、井上氏の日本代表が決定。石塚(北海道.中1.13才)対田島(東京電機大学4年.22才)戦は1勝1敗となりましたが、石数で石塚三段の判定勝。なお、次年度からは、男子の部を無差別の部(誰でも出られる)に名称を変え、無差別の部の優勝者が日本代表になることに決定。
 水谷美貴子さん(静岡.中1.13才)は、前年度の少年少女チャンピオン。堂々たる戦いぶりで石塚三段、田島四段2局打ちに連勝、五段の貫禄を示しました。


水谷美貴子五段
(女子チャンピオン)

石塚祐司三段
(少年少女チャンピオン)

田島 昇四段
(学生チャンピオン)

日本代表決定リーグ12局のうち3局を選んで下に示しました。

2局打ち第1局
スタートは牛定石

黒・井上博 28石勝
白・石塚祐司
(第2局も井上氏の42石勝)
2局打ち第1局

黒・水谷美貴子 18石勝
白・田島昇
(第2局も水谷さんの52石勝)
2局打ち第2局

黒・石塚祐司
白・水谷美貴子 44石勝
(第1局は水谷さんの40石勝)


 1個の余裕手は1個の☆打ちに勝り、余裕手2個ならヘラクレス!

(原図) 白番
20.png

 原図は、上掲の黒・石塚〜水谷戦(2局打ち第2局)からの取材。右辺は完全黒山、上辺には黒の爆弾が仕掛けられていて、とても一筋なわでは行かぬ局面ですが、白には☆とCに2個の余裕手があります。ヘラクレスはギリシャ神話に出てくる最大の英雄であり、その怪力は千人力といわれております。
 とは言っても、右辺の重い完全黒山には直接の手掛かりが全くなく、これでは怪力ヘラクレスも手のつけようが無いし、上辺の爆弾が爆発したら危ない!さて、どうしたものかしら?

実戦経過
絶好のタイミング 余裕手の放出!
黒も余裕手を放出
惜しまず第2の余裕手放出!

爆弾暴発!
その爆風を利用して☆打ち!
☆打ち2連打!

☆打ち3連打!
この1手
山も爆弾も消えた!(白44石勝)

 この若さで初の2部門制覇を成し遂げたオセロ界のプリンセス・水谷美貴子さんの攻めは、スカッとして爽やかで芸術的です。一方、今回の経験は石塚君に大いにプラスし、翌年再び少年少女の部で優勝(新記録)!

注1……余裕手を作り、それを絶好の時期に使用する。これは、オセロの中盤・終盤で最有力な戦術の1つです。
 絶好の時期を1手ずらしたばっかりに、同じ☆打ちでも結果は全く逆の天地の差になってしまったのが前述の小林〜井上戦でした。
 余裕資金を絶好の時期に使用して大成功した例……戦国の武将山内一豊の妻は、お嫁に来る時父から貰った黄金十両を、「夫の一大事の時のみに使用せよ。」との教えを守って、鏡台の引き出しの下に仕舞いこんだまま貧乏生活にも耐え、御馬揃(おんうまぞろ)えの時、それを取り出して夫に与え、夫はそれで東海一の名馬を購入して出陣、織田信長に「見上げたる志」と激賞され、それが切っ掛けとなって夫はとんとん拍子で出世して、終いに大名になりました。



3.第1回世界オセロ選手権大会の開催 (1977.10.28〜29.於帝国ホテル)

 世界チャンピオン! 重厚な素晴らしい響きをもつこの言葉。世界60億人の中で唯1人だけに与えられる栄誉の称号。今迄、頭脳競技で世界選手権が行われていたのはチェスだけでしたが、これにオセロが1つ加わったことになります(囲碁の世界大会が行われるようになったのはこの9年後)。
 待望久しいオセロの第1回世界選手権大会が今ここに実現しました。この大会の予選に参加したのは、アメリカ、イギリス、フランス、イタリー、西ドイツ、スイス、オーストリア、スペイン、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、フィリピン、日本の14ヶ国です。開催地は、第1回がオセロ発祥の地・日本、第2回は世界オセロ連盟のあるニューヨーク、第3回以降はオリンピックのように毎年世界主要都市で開催(但し、第10回、20回、30回…という区切りよい回は発祥の地・日本で開催)するということも決まりました。
 第1回世界オセロ選手権大会(主催 世界オセロ連盟・日本オセロ連盟、後援 読売新聞・(株)ツクダオリジナル)は、C.ヤコブ(27才.大学数学教師.アメリカ)、J.ウォック(30才.会社員.イギリス)、T.ヘイバーグ(21才.チェス名人.学生.ノルウェー)、R.イラガン(23才.公務員.フィリピン)、井上博(29才.ミキモト社員.日本)の5人の代表選手によって争われました。


 世界大会によせて ジム・ベッカー (世界オセロ連盟会長・アメリカ)

第1回オセロ世界大会で挨拶するベッカー氏

 「日本で生まれ育ったオセロゲームは、本年で32ヶ国の国々で発売され、着実にそのファンを拡大しつつあります。私は今日この場で自信をもって来年度には70ヶ国、再来年度には100ヶ国以上の国々でオセロゲームが楽しまれるようになると断言できます。
 争いの絶えない国際社会の中で、世界の国々がひとつのゲームを囲んで、それに勝つために全力を挙げることを目的に集まることは大変ユニークであり、素晴らしいことと思います。
 この世界大会を契機として、さらにオセロゲームが人々に深く愛され大きく成長することを祈ります。」


 決勝・・井上博 〜 T.ヘイバーグ(チェス名人の猛追一歩及ばず!)
(白42迄の局面)
(原図) 黒番
20.png


(決勝)ヘイバーグ氏(左)と井上氏 1977.10.29.帝国ホテル


 原図は、第1回世界オセロ選手権大会決勝1番勝負・黒・井上対ヘイバーグ戦の終盤戦で、黒が相当リード(18石)している局面です。
 2000年のオリンピック女子マラソンで、2位に相当の差をつけて競技場に入って来た高橋尚子選手でしたが、そこからシモン選手の猛追に会い、差はぐんぐん縮まる一方で手に汗を握る展開になりました。結局逃げ切りに成功!
 実戦はそれと同じ展開になりました。流石(さすが)チェス名人、ぐんぐん追い込んできて、原図より11手後の実戦2図ではもはや差は僅(わず)か(4石)です。ここで1手間違えば即(そく)逆転!
 しかし、井上五段はここで最善手(唯一の勝ち筋)を打ち、結局4石という僅差で逃げ切りに成功(実戦3図)!!

第1回世界オセロ選手権大会決勝1番勝負1977.10.29.東京
黒・井上博(日本)4石勝
白・トマス.ヘイバーグ(ノルウェー)
(黒53迄の局面)(実戦2図)黒番 勝てるのは1ヶ所のみ!
(実戦3図)世界一の座を獲得した手!

 白(チェス名人)が遅れを取ったのはスタートの失敗でした。は虎定石に誘った手ですが、が定石外れの悪手(正解はc4)で、と適切に応じられて早くも白は不利になりました。
 原図から黒(井上氏)が白に猛烈に追い込まれたのは、黒が疑問手を連発したからです。序盤・中盤での変幻自在な打ち廻し、特に終盤での緻密な読みでは定評のある井上五段のこの乱れは、局面の難しさも確かにありましたが、何といっても世界戦決勝の重圧だったと思われます。
 上に示した総譜のは8石損(正着はa4)、は2石損(正着はb7)、は4石損(正着はb2)の疑問手。その1例(8石損、正着はa4)を原図よりの続きとして下に示します。
原図よりの続き(実戦1図)疑問(8石損)のX打ち
 原図は極めて難解な終盤戦です。刻一刻と刻まれる対局時計の針を気にしながら、読み切れぬまま、半分は運を天に任せて打った勝負手のX打ち(実戦1図)が8石損の疑問手だったといっても、これは局後、時間をかけて詳細な検討の結果出された結論です。打たれた瞬間の実戦1図では、両対局者は勿論、多数の観戦者も誰1人としてそんなことに気づいた者はなく、皆ホーッとした表情で見守っているだけです。もし、この疑問手で黒が負けたら、それが実力ということになりますが、黒には沢山(18石)貯金があったのは井上氏、そして日本にとって幸運でした。原図以降、白の着手は全部最善手だったのですから。
原図よりの正解手順
当然の応手
(正解3図)黒18石リード

 原図からは、左辺をと決めてからとX打ちするのが正しい打ち方です。実戦1図と正解3図はよく似た形ですが、内容は異なります。実戦1図から実戦では白ア(最善手)と打っていますが、正解3図から白アなら以下黒A、白☆、黒Cとなって白アウトです(黒22石リード)。

第1回世界オセロチャンピオン・井上 博氏 挨拶要旨
 念願の世界チャンピオンになれて、言葉ではうまく言い表わすことができないぐらいの大きな喜びです。……。各国の選手は、代表選手であるという誇りをもち、気力、精神力は並々ならぬものを感じました。今の日本と諸外国とのレベルは、1年以上の開きがあると思いますが、日本で生まれたオセロです。翌年も翌々年もずっとタイトルを保持しようではありませんか。


 日本のオセロから世界のオセロへの第一歩

 第1回世界オセロ選手権大会開催の意義は極めて大きく、これが実質的にオセロが日本のオセロから世界のオセロへと踏み出す第一歩となりました。本家・日本代表井上博氏の優勝は、この第1回世界大会を祝う祝砲となりました。(最初から本家がむざむざと負けていては様にならず、かなえの軽重(けいちょう)を問われます。)。

筆者、J.ウォック氏(イギリス代表選手)、四本努氏(日本オセロ連盟理事)
 前夜祭での各国代表選手は皆陽気で明るく、よく飲みよくしゃべり、明日の対局に対する悲壮感等は少しも感じられず、好きなオセロを打ちにはるばる日本にやってきたことを素直に喜んでいました。
 戦い終わって、ビクトリディナーの席で、ヘイバーグ氏とマネージャー氏が来て、「ヘイバーグは、オセロを覚えて唯の4ヶ月でここ迄きたのをどう思うか?」との問いかけ。要するに、決戦迄進出し、全日本チャンピオンに際どい勝負をした結果に満足し、来年のニューヨークでの第2回大会こそはという並々ならぬ決意がそこに感じられました。そこに、四本努氏(日本オセロ連盟理事)がウォック氏(イギリス代表選手)を伴って現れ、「素晴らしい大会だった。勉強して、又是非出場したい。一緒に写真を、そして一局お手合わせを願いたい。」とのことで、私はウォック氏と初手合わせをし、荒削りだが力強かった印象でした。ヘイバーグ氏やウォック氏は再び世界大会に出場し、時の全日本チャンピオンと戦うことになります。

 あれから歳月は流れ、昨年秋に行われた第26回世界オセロ選手権大会(オランダ・アムステルダム)では、51人の各国代表選手が集まって熱戦を展開したのは既報の通りです。
 2003年3月22日には、第24期オセロ名人戦が197名が一堂(代々木オリンピックセンター)に会して開催され、末國誠七段(25才)が優勝して、秋の第27回世界オセロ選手権大会日本代表に決定。あと2人の日本代表は夏の第31回全日本オセロ選手権大会の結果待ちです。

(2003.4.1 長谷川五郎 記)



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