百人の物語 > (第5回)佳境に入った全日本と世界オセロ選手権大会(その1)


オセロ史を飾った百人の名選手の物語
(第5回)佳境に入った全日本と
世界オセロ選手権大会
(その1)


1. 第6.7.8.9回全日本オセロ選手権大会と三強(丸岡、井上、三村)の時代 (1978〜1981)

A. 強打の16才の風雲児・丸岡秀範(ひでのり)五段の登場 (第6回全日本優勝1978.8.6)
☆ オセロ海外だより
B. 1年ぶりに返り咲いたベテラン31才・井上 博六段 (第7回全日本優勝1979.8.5)
怒髪天を突く勢いの藤田順一氏の闘志!
C. 第8回全日本オセロ選手権大会 (1980.8.10.帝国ホテル)
軽快な打ち廻しで初優勝の19才・三村卓也四段 (北海道代表)
大一番、形勢互角、命運を分けた次の1手!
D. 第9回全日本オセロ選手権大会 兼 第5回世界オセロ選手権大会日本代表選考会 (1981.8.9.帝国ホテル孔雀南の間)
丸岡秀範六段、2度目の栄冠に輝く (大学2年.19才)
中盤の1手はオセロ史を変える!

☆ オセロトピックス



1. 第6.7.8.9回全日本オセロ選手権大会と三強(丸岡.井上.三村)の時代 (1978〜1981)
A. 強打の16才の風雲児・丸岡秀樹五段の登場 (第6回全日本優勝1978.8.6)
丸岡秀樹(無差別)、石井恵美子(女子.22才)、表寺修(学生.18才)さん初優勝、石塚祐司(少年少女.中2.14才)君は連覇(史上初)

 無差別64名、女子28名、学生30名、少年少女64名が帝国ホテル孔雀南の間で一斉に戦った第6回全日本オセロ選手権大会は「青丹(あおに)よし奈良の都は咲く花のにおうが如く今さかりなり」という歌が思い出されるほどの豪華さです。
 注目の無差別級では番狂わせが続出して熱狂。その午前の嵐が過ぎ、午後の16人によるトーナメント開始時には、世界チャンピオン・井上博六段や藤田二三夫五段の名は既になく、2人とも新人・太田彰一氏(神奈川.30才)に打ち取られたのです。女子チャンピオン・水谷美貴子五段も既に敗れ、本命不在となった午後のトーナメントでは、男性選手をバタバタと薙(な)ぎ倒して勝ち進む国枝交子三段(東京都予選1位)に話題・視線が集中(囲碁・将棋・チェスにも全く前例のない女性の無差別チャンピオンの誕生か?)。しかし、国枝交子さんも準決勝で太田彰一氏に敗退。
 一方、“社会人は学生より強い”というこの6年間の常識(既成観念)が災いして、殆ど誰からも注目されなかった16才(高2)丸岡秀範君(富山代表)がスルスルと決勝に進出。但し、丸岡君は前年の第5回大会一般男子の部で16傑入りした実力者で、その時15才。それから毎日1時間以上研究した由。この若さと才能に加えて1年間の研究熱心の成果はハッキリと表れていました。落ち着いた対局態度、与えられた時間の合理的使用、無理のない石運びで相手のスキを見つけるや瞬時に繰り出す必殺のKOパンチ!準々決勝で野口斉氏(栃木.24才)に52石勝、準決勝では林恵司氏(九州代表.30才)に56石勝という当るべからざる勢いで決勝進出です。
(白22迄の局面)
(原図) 黒番

 オセロ日本一と秋にニューヨークで行われる第2回世界大会日本代表の座を賭けた決勝2番勝負・大田彰一対丸岡秀範戦は、丸岡君の連勝(1局目.黒で30石勝、2局目.白で28石勝)。
 原図は、その第2局よりの取材。黒が大田彰一氏です。
(実戦の経過)壁作りの悪手
冷静、1石返して手待ち
猛牛の暴走!
(実戦4図)
天王山に打つ!技あり!

 は「30石のハンディを背負っているのだから、何かやらなくては駄目だ。」という判断でなされた大田流の強引な仕掛けです(をBなら、黒の思うつぼ!)。
 しかし、強打の丸岡は血気の丸岡ではありません。黒の誘いに乗らず、悠々と冷静な1石返しで手待ちし、逆に黒の動きを催促。ここで思いとどまればはアでしょうが、一度走り出した野牛は止まりません。は野牛暴走の手。今度はBは天王山!
 機敏の反撃で、この一手に強打・丸岡の底知れぬ強さの一端をかいま見た気がします。猛牛の突進をガシッと受け止めた源為朝(みなもとためとも)の怪力を思わせる(手筋の中割りで天王山に打ち、しかもイは白の余裕手)!事実、ここで黒の動きはピタリと止まって、ネコのようにおとなしく実戦は黒ウ。
 黒ウでは、あくまでも強気に黒Cと反発(白イの余裕手を消す)できなかったところに黒の作戦の矛盾がありました。実戦4図から、黒Cなら白エと応じられて手を渡されて黒窮しますし、又は黒C、白X(次に白Aが狙い)と直接白から攻めて来られても黒は成算の持てぬ形です。
 いずれにしてもと打った実戦4図は白が1本に近い技ありを取った形。
原図より
(正解1図)手筋の中割り
斜め中割り
(正解3図)
1石返し手待ち(形勢互角)

オセロ日本一
丸岡秀範五段

無差別決勝
丸岡秀範氏(左)対太田彰一氏

 正解3図ならば、アが白の余裕手、イが黒の余裕手、双方共余裕手を1個ずつ持って、土俵中央でガップリ左四つ、すべてはこれからの形勢でした。
 本戦8局戦って全部KO勝ちして優勝した16才、丸岡五段の強腕がニューヨークで1978年10月30日より開催される第2回世界オセロ選手権大会で如何に発揮されたのかはお楽しみ。


第6回全日本無差別決勝 2番
勝負第2局(第1局丸岡30石勝)

(牛定石からの出発)
黒 太田彰一(神奈川)
白 丸岡秀範(富山)28石勝
(1978.8.6.於帝国ホテル)

☆ オセロ海外だより抜粋……第2回世界選手権大会に向けて各国で代表選考会が進行中。
アメリカ……全米約40ヶ所で予選会が行われており、10月には各地区代表選手による最終戦があり、その勝者は昨年東京へ来てお馴染みの前年度チャンピオン・Mrs.ヤコブと米国代表を争うことになっている。
イギリス……500名余の代表選手による予選を経て、9月(1978)中には、かの有名なシェイクスピアの生誕地、ストラトフォード・オン・エイボンのロイヤル・シェイクスピア劇場内で全英代表を決める。オセロゲームとシェイクスピアの「オセロをひっかけたPR効果抜群の企画として好評。



B. 1年ぶりに返り咲いたベテラン31才・井上博六段 (第7回全日本優勝 1979.8.5)
井上博氏(無差別)は2回目、玉家美樹(女子の部・東海・中3・14)、長竹直也(少年少女・中3・14)さんは初優勝
第7回全日本オセロ選手権無差別の部決勝1番勝負(兼第3回世界オセロ選手権大会日本代表決定戦)
(牛・山手線外回り)
黒 藤田順一(東海代表28才)
白 井上博(東京代表31才)36石勝

怒髪天を突く勢いの藤田順一氏の闘志!

 本戦6連勝した2人だけに与えられるこの決勝の舞台、あと1勝しただけで全日本チャンピオンの座と世界チャンピオンへの道が開かれる大一番に初進出の藤田氏の胸は高鳴ります。初代世界チャンピオンの井上氏はその著「逆転の発見」で牛定石からの黒7(山手線外廻り)は悪手と断定しそこで解説を打ち切っています。童話の裸の王様と同じで、誰も黒7(山手線外廻り)を打ちませんでしたが、唯1人この説に反対し、黒7(山手線外廻り)を多様して相当の戦果をあげていた男が静岡にいました。藤田順一氏です。
 決勝1番勝負、ジャンケンは井上氏が勝って井上氏は白を取りました。白番なら必ず斜め取りするのが井上流で、それなら、牛定石に誘導するのは黒の権利で、そこで日頃の研究黒7(山手線外廻り)を試す絶好の相手、舞台です。井上理論に対する挑戦!藤田氏の闘志は怒髪天を突く勢いとなりました。原図は黒7(山手線外廻り)から出発した戦の中盤戦です。
(白16迄の局面)
(原図)黒番 アは天王山
(実戦1図)天王山を打ち忘れる
天王山に打たれて黒しびれた
(実戦)精いっぱいの反撃
矢つぎばやの攻撃
(実戦5図)ついに籠城(ろうじょう)の構え
 闘志も緊張も度を過ぎればかえってマイナスに作用することがあります。藤田四段ほどの打ち手が何と天王山を打ち忘れてしまったのです。交通事故の場合もそうですが、唯1度のミスも絶対に取り返しのきかぬことがあります。まして相手は名にし負(お)う百戦錬磨(れんま)の初代世界チャンピオン・井上六段です。が連続の絶好手で、早くも黒は大ピンチ!
 ここで藤田氏長考して編み出したのが勝負手のX打ち・籠城の構えです。「白☆なら黒Cと粘って、Bが黒の余裕手だから、こうなれば事件」ですが、客観的立場に立って実戦5図の局面を冷静に眺めれば、黒の不利は覆うべくもありません。試合運び巧者の井上六段は、実戦ではここで白アと安全な兵糧攻めの方法を選びましたが、ここでは強く直接白Aと踏み込めば(丸岡秀範六段ならこの方法を選んだことでしょう)、以下黒C1、白☆で黒陣は壊滅です。
(原図からの正解手順)
天王山に打つ!
1石返し手待ち
1石返し手待ち(形勢互角)
 実戦では敗れましたが、藤田流黒7(山手線外廻り)は、以後全日本や世界で一流オセラーによって数多く打たれております。

注1……牛定石・黒7(山手線外廻り)以後の打ち方(オセロ大観.P124以下に詳述)

優勝を決めてほっと一息 早くも視線は世界大会へ
井上博六段

大一番で新趣向を試みた
藤田順一四段

 井上氏は規定によって七段に昇段、秋の第3回世界オセロ選手権大会(イタリア・ローマ.1979.10.28〜30)に唯一人の日本代表として参加することに決定。

C. 第8回全日本オセロ選手権大会 (1980.8.10.帝国ホテル孔雀南の間)
軽快な打ち廻しで初優勝の19才・三村卓也四段 (無差別.北海道代表)
国枝交子三段(女子.東京.40)、長谷川武君(少年少女.岡山.小6.12)も初優勝

 第1次予選、第2次予選を経て、この日集った無差別64名、少年少女64名、女子32名。特に無差別では、北海道若手旋風が吹いて10代3人男が上位を独占。6連勝して決勝に躍り出た2人は共に19才の北海道代表です。この3月に新設されたオセロ名人戦で優勝し、第1期名人になった本命・河村末告名人対新鋭三村卓也四段(牧場勤務)の決勝戦は、中盤の連続2手の失着で気落ちした河村名人が、終盤でもミスを重ねたため、数字上は大差になってしまいましたが、以下に示した解説を御覧頂ければ明らかなように、内容そのものは僅差だったのです。

第8回全日本オセロ選手権無差別決勝1番勝負
(牛)
黒 三村卓也(北海道)40石勝
白 河村末告(北海道)
(1980.8.10.於帝国ホテル)
無差別で優勝、準優勝、3位を含めて前列6人が入賞、気勢大いに上がる北海道選手団




 



 


 



 



 





寿
13

20
 



11

41
 




 




 





16
 





18
(黒31迄の局面)
(原図) 白番

大一番、形勢互角、命運を分けた次の1手!

 原図は、黒・三村〜河村戦(決勝)の中盤です。形勢は全く互角、少しの緩みも許されない緊迫した局面!実戦は部分の好形だけに目が行ってその結果相手側に絶好の場所アを提供してしまった痛恨の悪手。続いても黒Aの好手を与えた疑問手。形勢はどんどん白有利になって行きました。
(実戦)
部分の好形に見とれた悪手
絶好手を打つ(棚ぼた)
再び疑問手を打つ
(正解1図)
気合い鋭く勝負!
(正解2図)
1石返し手待ち
(正解3図)
右辺2手打ち!形勢互角

(正解)……ここは強くと勝負に持ち込む1手。これに対し、黒Cと避けても、黒Bと爆弾を仕掛けても、白は充分に戦える形です。右辺で直接戦うのは得策でないと、黒はA打ちして手待ち(正解2図)。白もと右辺2手打ち(手得)して黒に手を渡して、形勢は全く互角で総ては今後の打ち方如何にかかっています。正解3図から黒イ、白ウを想定しても依然として形勢は互角で、大一番にふさわしい大熱戦に展開したでしょう。

 19才、初めてのオセロ日本一になった三村卓也新五段は、秋の第4回世界オセロ選手権大会(1980.10.27〜ロンドン)に唯1人の日本代表として出場することになりました。その結果は後述。



D. 第9回全日本オセロ選手権大会 兼 第5回世界オセロ選手権大会日本代表選考会 (1981.8.9.帝国ホテル孔雀南の間)
丸岡秀範六段.2度目の栄冠に輝く (無差別.北関東.大2.19才)
大橋公江さん(女子.九州.38)、亀本修君(少年少女.南関東.中3.14)は初優勝

 オセロの甲子園といわれるようになった本大会は、今回も約22,000人の予選参加者の中から勝ち上がってきた160名の精鋭(シード3名)が一堂に会して3部門(無差別64名、少年少女64名、女子32名)で争われました。各部門共、4人が1組になって総当たり、その優勝者のみが午後のトーナメント出場資格を持ちます。チャンピオンになるには無差別・少年少女が7連勝、女子は6連勝が絶対条件で、どこかで1敗すれば即失格です。年毎に選手の実力が伯仲してきている中で、連覇する確率は女子は女子は4096分の1,無差別は16384分の1という厳しさで、実際この2部門で連覇した人はいません。三村卓也五段、河村末告名人、国枝交子五段のシード3選手は、共に予選敗退です。
 そういった波乱の中で7連勝して2度目の優勝、第5回世界オセロ選手権大会日本代表(1981.10.23〜25.ブラッセル)に決まった決った丸岡秀範六段(19才.自治医大2年)はやはり偉大なオセラーです。無差別2位北島秀樹17才、3位石井健一16才、4位石塚祐司17才、まさに若さの爆発です。
 丸岡六段は規定によって七段に昇段、ブラッセルでの活躍は後述。

第9回全日本オセロ選手権
無差別決勝一番勝負
(兎1)
黒 北島秀樹(南関東)
白 丸岡秀範(北関東)2石勝
(1981.8.9.帝国ホテル)

戦い終わって固い握手。優勝の丸岡秀範六段(左)と北島秀樹五段
(白22迄の局面)
(原図) 黒番


中盤の1手はオセロ史を変える!

 原図から、実戦黒23(b3)は白壁破りの疑問手。もしも、黒がここから正解1〜6図(白壁を破らず、黒をダンゴ石にして、白の動きを催促)のように打てば黒優勢です。多分北島新チャンピオンが誕生して、世界のオセロ史も変わっていたことでしょう。
(正解1図)
好形のダンゴ石にして手待ち
黒壁を破らずじっと辛棒
黒も辛棒
1石返しA打ちして手待ち
中割り(次に黒Bを狙う)
(正解6図)
白防戦。黒優勢

 正解6図は、黒Bの狙いを防いで黒からの仕掛けを催促した手ですが、白壁は厚く、黒は好形の固まったダンゴ石で、黒優勢です。次に黒A、白C、黒A1、白C1、黒アと踏み込めば、白は困った形。と言ってもこれは仮定の話であって、現実の姿ではありません。原図から実戦は上記総譜のように進行して、下図(原図 II )では白優勢、あるいは白勝勢(白12石リード)ともいえる局面です。
(黒37迄の局面)
(原図 II )白番。白優勢
但し、実戦では、ここで残り時間は黒2分、白5分位です。秒読みなしの持時間20分ずつの厳しい条件。1手打ち、片手で石を返し、その返した手で対局時計を押すと同時に相手の対局時計が動き出す迄には、少なくとも数秒かかります。5分前から対局時計の長針は赤い針を押し上げ始め、長針が12の数字を指してから1秒すぎれば90゜迄押し上げられていた赤い針はパタリと元に戻り、そうなったら、即時間切れ負けです。
 実戦では、時間も重要な勝負の要素です。読み切れぬまま、原図 II から気合い鋭く打った勝負手のX打ちは格好いい手で、多数の観戦者も「なる程そう打つものなのか」と感心したのですが、実はが疑問手(4石損、正解はh5)だったのですからオセロは限りなく奥深く難しく面白いゲームです。
 “悪手は悪手を呼ぶ”といいます。続く勝負手のX1打ちも疑問手(6石損、正解はa7)で、差は一気に縮まりもう訳の解らない形勢(厳密にはまだ白2石リード)となって終盤戦に突入しました。
 双方に疑問手(h1、4石損、正解は左下☆)、(a3、4石損、正解はh6のA打ち)が1個ずつ出ましたがこれは帳消し。ここで両者の持時間は共に約1分、この難しい局面をここから16手、殆どノータイムでパタパタと打ち切った時、両方の対局時計は針落ち寸前!途中では、黒が勝ったのではないかと皆の眼に映りましたが、白は最後にと連打して追いつき追い越して、数えてみたら白2石勝。しかも驚いたことには、最後の16手は全部最善手の連続だったのです。
 大向(おおむこ)うをうならせた内容の濃いハラハラドキドキ見せ場のある決勝戦でした。



☆ オセロトピックス

(1).第6.7.8.9回全日本オセロ選手権大会女子の部優勝者の横顔


石井美恵子さん
(第6回東京22)
44m.jpg
玉家美樹さん
(第7回静岡14)
45m.jpg
国枝交子さん
(第8回東京40)
46m.jpg
大橋交江さん
(第9回九州38)

(2).日本では、昔から橋を造った時、その渡りぞめ式に、親、子、孫3代の夫婦が揃って最初にその橋を渡るということが行われていました。まれだし素晴らしい!
 第21期オセロ名人戦(2000.4.9.中野サンプラザ)では、前島なみさん(第13回全日本女子7位)、前島十三子さん(第6回全日本3位)細田規子さんの親、子、孫、3代が選手として同時に出場し、同じ部屋で善戦しました。オセロならではの光景でした。

(3).第24期オセロ名人戦(2003.3.22代々木オリンピックセンター)中学生の部。特に3年生はあと10日でこの部門卒業です。このツーダン満塁絶好のチャンスに見事ホームランを放って初優勝・中学生名人になり、四段位と副賞のデラックスオセロ等を獲得した高崎悠太朗君(麻布学園中3.15才)には、実はオセロ大会30年のドラマがありました。
 28年ほど前の第3回全日本オセロ選手権大会(1975.8.14)男子の部決勝で、終盤の一失で長蛇を逸した高崎禎夫氏(広島代表.大学教授.祖父)、その翌年の第4回全日本オセロ大会(1976.8.8)少年少女の部で4位入賞した高崎良平君(当時小6.12才.父)、これらは皆、世界オセロ選手権大会やオセロ名人戦が開始される以前のお話です。
 今回の悠太朗君の優勝を最も喜んだのは祖父の禎夫四段でお手紙を頂きました。


(2003.5.1 長谷川五郎 記)




第6回予告

2.第2.3.4.5回世界オセロ選手権大会と日本代表選手(丸岡、井上、三村、丸岡)の獅子奮迅(ししふんじん)の活躍




百人の物語 > (第5回)佳境に入った全日本と世界オセロ選手権大会(その1)

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