百人の物語
> (第6回)佳境に入った全日本と世界オセロ選手権大会(その2)
オセロ史を飾った百人の名選手の物語
(第6回)
佳境に入った全日本と
世界オセロ選手権大会
(その2)
2.
第2.3.4.5回世界オセロ選手権大会と日本代表選手(丸岡、井上、三村、丸岡)の獅子奮迅
(ししふんじん)
の活躍
A.
第2回世界オセロ選手権大会
(ニューヨーク.1978.10.29〜30)
決勝トーナメント
特選譜1.丸岡秀範 対 トマス・ヘイバーグ
(予選リーグ1回戦)
丸岡の強打炸裂、チェス名人轟沈す!
暗闇に妖刀一閃!!
特選譜2.丸岡秀範 対 キャロル・ヤコブ
(決勝2番勝負第2局)
劇的なフィナーレとなった丸岡のパーフェクト勝ち
B.
第3回世界オセロ選手権大会
(ローマ.1979.10.28〜30)
決勝トーナメント
オセロ歴と強さ
特選譜2局 井上博 対 ジョナサン・サーフ
(決勝2番勝負)
起こるべくして起こった再度の日米決戦
X
(エックス)
打ちを制する者は世界を制す
(オセロ格言)
C.
第4回世界オセロ選手権大会
(ロンドン.1980.10.26〜27)
決勝トーナメント
アメリカ初優勝!!
特選譜 三村卓也 対 ジョナサン・サーフ
(決勝3番勝負第2局)
背水の陣、中盤の打撃戦に屈す
D.
第5回世界オセロ選手権大会
(ブラッセル.1981.10.23〜25)
リーグ戦上位3傑
特選譜1.モローリ 対 丸岡
特選譜2.丸岡 対 ローズ
(決勝)
大会終了後のディナーの席で
2.
第2.3.4.5回世界オセロ選手権大会と日本代表選手(丸岡、井上、三村、丸岡)の獅子奮迅
(ししふんじん)
の活躍
A.
第2回世界オセロ選手権大会
(ニューヨーク.1978.10.29〜30)
決勝トーナメント
(2局打ち、数字は1局ごとの獲得石数)
☆ 日本で生まれ育ったオセロゲームも、6年目にして初めて海外での世界選手権大会が開催されるに至りました。参加者は、カナダ、アメリカ、イギリス、日本、ノルウェー、フィリピン、フィンランド、イタリア、スウェーデン9ヶ国の代表選手達。全く日本語のないオセロ大会!世界のオセロとしての実感がそこにありました。
世界は広く、どんな強豪が飛び出してくるか解りませんが、「一応優勝候補は日本の丸岡、全米オセロ選手権2連覇のヤコブ、第1回世界オセロ選手権2位のノルウェーのチェス名人・トマス・ヘイバーグ(22才.オスロ大学数学科学生)の3人に絞られるだろう。」というのがわれわれの一致した見解でした。
前夜祭で翌日の予選組み合わせが決まった時、杉田英二氏(日本オセロ連盟国際担当理事)は、「日本代表がもし敗れるとすれば、それは予選リーグ初戦に当たる対ヘイバーグ戦でしょう。何しろ予選リーグは、決勝トーナメントと異なり、コッキリ1番勝負だから不測の事態も起こり得ます。決勝迄勝ち進んでそこで敗れるならともかく、予選初戦に敗れてそのまま失格という最悪の事態だけは何としても避けたいですね。」と筆者に語っていました。
ヘイバーグ選手のチェスの実力は日本流にいえばプロの九段ぐらいか。これだけの才能のある人が、第1回世界オセロ選手権2位(井上博六段に4石負け)から1年じっくり研究してきたのです。16才の大型新人丸岡五段の抜群のパンチ力、強さは解っていても、やはりそこに不安があったのも事実でした。
特選譜1.丸岡秀範対トマス・ヘイバーグ
(予選リーグ1回戦)
丸岡の強打炸裂、チェス名人轟沈す!
第2回世界オセロ選手権大会予選Bリーグ1回戦(ニューヨーク・マーチャンダイスマート.1978.10.30)
【兎4】
黒
丸岡秀範(日本)
60
白
トマス・ヘイバーグ
(ノルウェー)
4
アルゼンチンで開かれていた“チェスオリンピック”の合間をぬって駆けつけたノルウェーのチェス名人・ヘイバーグ選手の胸中は「今度は絶対にオセロの世界チャンピオンになってみせるぞ!」だったのでしょうが、事志
(ことこころざし)
に反して初戦で丸岡五段に大敗。奮起して第2戦はイタリヤのモローリ選手に57石対7石と圧勝したのですが、初戦の大敗がたたって1勝1敗でも評価はマイナスになり、ここで早くも予選落ちとは、規定とはいえ、厳しい現実です。
「昨年の井上氏も巧妙な試合運びで強かったが、ミスター丸岡は一段とパワフルだ。こんな強いプレイヤーに会ったのは初めてです。」とヘイバーグ氏は興奮気味に、残念そうに語りました。
しかし、対ヘイバーグ戦、対ヤコブ戦で丸岡五段の見事な一本勝ちが決まったのは、いずれも相手に一瞬のスキができたからで、実力では紙一重の差なのです。全日本柔道選手権大会決勝(2003.4.29.大阪)で、井上康生は鈴木桂治の一瞬のスキを突いて右内股一閃、鈴木の体は宙に舞い見事な一本勝ちを収め、史上4人目の3連覇を達成しましたが、少し前の選抜体重別選手権100kg級決勝(2003.4.6)では鈴木桂治が勝っています。
(黒35迄の局面)
(実戦原図) 白番
事実上の決勝戦かもといわれた予選リーグBの初戦を戦う丸岡(左)対ヘイバーグ(1978.10.30)
原図は丸岡(黒)対ヘイバーグの中盤戦で、黒がc8とA打ちして仕掛けた局面で、これに対し白がどう対応するか、興味深い所です。
実戦 A打ちで対応(1図)
→
妖刀一閃!! (2図)
→
右辺2手打ちして手待ち
(3図)
白壁を破る
(4図)
→
1石返しの手待ち
(5図)
→
黒の強打炸裂!白アウト!
(6図)
くらやみ
ようとう
せん
_
暗闇に
妖刀一
閃!!
「真夜中に、達人が村正の妖刀で後ろから電光のような一太刀を浴びせた。入神の技と切れ味だったので、切られた人は一瞬ヒヤリと感じただけで気づかずそのまま歩き続けて行く。家に帰ってから、水を飲んだらそこで体が真っ二つに割れて死んでしまった。」という怪談がありますが、
は音もなく一瞬のうちに相手に致命傷を与えた手!しかも、相手はそれに少しも気づいていません。
いな、むしろ白は
と右辺2手打ちできたのを喜んでいる気配さえありました。「
と白壁を破ってくるだろう。そこで
と1石返して手待ちすれば、イはほとんど白の余裕手(黒イなら白Xで局面紛糾)」とヘイバーグ氏は5図の局面を楽観的に見ていました。しかし、文学論などと違って、冷厳に明確な結果となって現れてくるのが科学の世界であり、オセロも例外ではありません。
は現実には総てをパーにした大悪手(この期
(ご)
に及んでまたまた20石損)。
と下方に完全黒山が突如として出現して、事の重大性に気づいてギョッとしたが、総ては後の祭り。
は、4図から白Xと打つ1手で、これならまだチャンスはありました(少なくとも決勝トーナメントには出場できた筈)。遡って
では素直に白b8に打つべきでした。一方、丸岡五段の打った
は総て最善・最強の応手で間然
(かんぜん)
とする所がありませんでした。
特選譜2.丸岡秀範対キャロル・ヤコブ
(決勝2番勝負第2局)
劇的なフィナーレとなった丸岡のパーフェクト勝ち
全米2連覇の輝かしき実績のMrs.ヤコブ。地球の歴史始まって以来の初の女性の世界チャンピオン誕生の夢を賭けた決勝2番勝負は、丸岡氏の強打に屈し連敗。
第2回世界オセロ選手権大会決勝2番勝負第2局(ニューヨーク.1978.10.30)
(一局目は50対14で丸岡氏の勝)
【牛・ヨット避け】
黒
丸岡秀範(日本)
64
白
キャロル・ヤコブ
(アメリカ)
0
(黒25迄の局面)
(実戦原図)白番
原図は、上記丸岡(黒)対ヤコブ戦(決勝2局目)の中盤戦。難しい一触即発
(いっしょくそくはつ)
の局面で特に上方の石の絡み合いが問題です。
ここでヤコブさんが1図
と打った理由は、「次に黒アなら白イで悪くない。」でしたが、
が白の意表を突いた天来の妙手で、この手をヤコブさんは見落としていました。2図は白番で、Bが黒の余裕手、ここで白は完全にしびれてしまいました。
(実戦)大悪手・中辺の横取り
(1図)
→
天来の妙手!白アウト
(2図)
剣の極意は、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。原図から、白は勝負手のX打ちを敢行(正解1〜3図)すれば、優劣不明の大熱戦に展開したでしょう。
(正解1図)勝負手X打ち!
→
(正解2図)c3に切りを入れ、天王山に打つ!
→
(正解3図)勝負のC打ち!形勢互角
☆ フィナーレの本局、盤面全部がパタパタと黒石に変わった瞬間、そのあまりの見事さに会場がドッと笑いの渦につつまれたのが印象的でした。
右からMrs.キャロル・ヤコブ。筆者。Mr.リブ・アーセナル(カナダ代表)。Mrs.アーセナル。
ニューヨーク、アメリカス通りの一角で行われた人間オセロ大会には、丸岡新チャンピオンも駒となって参加。多くの見物客が集まった。
B.第3回世界オセロ選手権大会
(ローマ.1979.10.28〜30)
決勝トーナメント
(予選〜決勝を通して試合は2局打ち、持時間は各30分)
☆
オセロ歴と強さ
は、或る程度比例するものらしく、オセロ歴の古い3選手(井上、サーフ、ウォック)がやはり一歩抜きん出た強さを示しました。前夜祭の席で、井上氏を見つけると早速歩み寄ってきて2年振りの再会を喜んで固い握手をかわしたジョセフ・ウォック氏(イギリス代表)は、2年前の時より一段と強くなっていて、準決勝第1局では井上七段を土俵際迄追い込んで、あわやという場面さえありました。
初出場国の代表者、ミュール氏(フランス.31才.数学教師.オセロ歴2年.Aリーグ)、シリング氏(ドイツ.26才.社会経済学者.オセロ歴1年.Bリーグ)は共にリーグで6戦して6敗で予選で敗退でした。
準決勝第1局。見違えるような強さで井上博氏に肉迫するイギリスの巨人ジョセフ・ウォック氏(右)
ローマ法王にイタリアの関係者よりオセロを献上(第3回世界オセロ選手権ローマ大会)
特選譜2局 井上博 対 ジョナサン・サーフ
(決勝2番勝負)
第3回世界オセロ選手権大会決勝2番勝負
(ローマ.ヒルトンホテル.1979.10.30.持時間各30分.使い切れば1手30秒の英語の秒読み)
第1局 【牛・ヨット避け】
黒
井上 博(日本)
41
白
ジョナサン・サーフ
(アメリカ)
23
第2局 【兎1】
黒
ジョナサン・サーフ
14
白
井上 博
_
50
注
【牛・ヨット避け】 とは
迄牛定石、
をg5ならヨット定石へと進みますが
はその進行を避げた有力定石。 兎1とは、
迄兎定石で
をc6に打つ戦法で、
の打ち方で兎1〜兎7に分類。「オセロの勝ち方.P47.P96〜7」「オセロ大観I.序盤戦術」参照。
起こるべくして起こった再度の日米決戦
大会終了後のビクトリ・ディナーで世界オセロ連盟会長のジム.ベッカー氏を囲んで優勝の井上氏と2位のサーフ氏。嬉しさ一杯満面笑みの井上氏とどこか憮然
(ぶぜん)
とした表情のサーフ氏(このくやしさの借りは必ず来年返すぞ!)を写真はありのまま正確に映し出しています。
強い者が勝つ!間違うのも実力のうち。それが冷厳な勝負の世界で、そこには情実の入る余地はありません。
世界は、資本主義の頂点に立つ経済大国アメリカを中心として動いていますが、その原動力はアメリカという国及びアメリカ人の持つエネルギーの凄さです。前回決勝で日本の丸岡五段に完敗しましたが、この1年日本一流選手の打ち方も徹底的に研究、自らもレイティング制(現在の実力を示す尺度で日本の段位制より合理的)を採用して切磋琢磨
(せっさたくま)
、前回のチャンピオンMrs.ヤコブより85点強い全米史上最強のチャンピオン・サーフ氏を送り込んできたのでした。アメリカではこの数年でオセロ競技人口も数百万人になり、A(1599〜1400)〜E(799以下)のランクに分け、Aの上がエキスパート(1799〜1600)、そのまた上がマスター(1999〜1800)です。アメリカオセロ連盟発行の機関誌を見ると、昨年はヤコブ(1706)、サーフ(1585)でしたが、最近号では1位サーフ(1791)、2位ヤコブ(1655)となって完全逆転、すなわちサーフ氏は昨年代表のMrs.ヤコブより85点も強いわけで、これでは井上氏も油断なりません。
実際、決勝2番勝負は2局共サーフ氏の勝勢になったのですが、そこから井上氏の妖術に眩惑
(げんわく)
されて自滅!残念無念無念残念!
(黒39迄の局面)
第1局原図 白番
(白44迄の局面)
第2局原図 黒番
立合人P.モローリ氏(昨年のイタリア代表)、棋譜係り・国枝交子三段という一流オセラーを配置。30分の持時間を使い切っても、1手30秒以内に打てばOK(決勝に限り)という万全の配慮。
エックス
_
X打ちを制する者は世界を制す
(オセロ格言)
“X打ちの謎”については本講第1回でも詳述してあります。第1局原図の局面を見て、筆者は後のドアからそーっと音もなしに外に出ました。囲碁や将棋では見込みなしの時は投了で終局ですが、勝敗の他に石数も評価の対象となるオセロでは投了はなく(もし投了すれば0石対64石の評価)、悪くなっても最後迄打ち進めて行きます。準決勝で苦戦した井上氏、若手のイタリア代表を2局共こっぱみじんにしたサーフ氏、勢いは明らかにサーフ氏の方にありました。静かに席を外したのは、日本代表が投了しないまま、サンドバックのように打たれ続ける姿を見るに忍びなかったからです。
控室には大勢の人が待機していました。「どうですか?」と佃光雄氏(ツクダオリジナル社長)の問いに、「駄目でしょう。もう間もなく終わりますが日本の初負けです。しかし、まだ2局目がありますよ。」と断言的に答えました。しばらくして、1局目終了の知らせが来て、皆ぞろぞろと対局室に入って行きましたが、思わぬ異様な光景に皆ビックリ、ア然としたのは筆者で、何と1局目41-23で井上氏が勝っていたのです!
【第1局原図からの正解手順】
勝負手のX打ち!
→
最強の反撃
→
ブラボーのX打ち!
必死の抵抗
→
☆打ちして白必勝
→
黒11石−白53石
第1局原図から、実戦では勝利を目前にして、白のサーフ氏の着手は乱れに乱れました。今、石を並べてみると、24年の歳月を越えて、サーフ氏の心の動揺が伝わってきます。
10石損(正解はg7)、
8石損(正解h4)、
4石損(正解f2)、
8石損(正解g3)、
18石損(正解e1)でさしもの好局もここで逆転。
駄目押しの悪手8石損(正解e1)、
4石損(正解h7)となり、白は終盤で計60石損をしました。一方黒の井上氏の着手はその間全部最善手! 「オセロとは、好手を打って勝つのではなく、悪手を打って負けるゲームなり」 というオセロ格言そのもののスリルに満ちた終盤戦でした。
【第2局原図からの正解手順】
1石返しのA打ち、手待ち
→
最善の応手
→
勝負手のX打ち!黒よし
↓
黒35石−白29石
と勝負手のX打ちすれば黒がよかったのでした。第1局原図でも、第2局原図からでも、サーフ氏は歌を忘れたカナリヤのように、実戦で適切なX打ちを忘れてしまったようです。
実戦では
14石損で逆転(正解c1)、
10石損(e2)、
4石損(b1)、
18石損(正解b1)と7手の間{
4石損(h2)}で差し引き42石損をして黒は自滅してしまったのです。
X打ちはやはり永遠の謎なのでした。
C.第4回世界オセロ選手権大会
(ロンドン.1980.10.26〜27)
決勝トーナメント
(準決勝は1番勝負、決勝は3番勝負)
アメリカ初優勝!!
(日本の四連覇ならず!)
ワァーッとあがる大歓声と拍手。全員総立ちの中で、戦い終わって握手するアメリカ・サーフ選手と日本の三村選手。サーフ夫人の目に涙が光る。ガックリとうなだれる三村選手。第1回世界大会以来通算28連勝、その底知れぬ強さは世界のオセロファンから感嘆と羨望
(せんぼう)
の眼差
(まなざ)
しで眺められ、完璧を誇った日本のオセロが終に敗れたのです。しかし、この瞬間から、日本のオセロゲームは世界のオセロゲームになった、これは記念すべき敗北ともいえます。
戦い終わって日米の国旗の前で握手する両選手。カメラの方を向けて最高の笑みを浮かべるサーフ氏。敗れた三村氏の胸中は?(視線は、相手でもカメラでもなく…)。
嬉し涙を流した後、今度は満面笑みのサーフ夫人。その右は「ラッキーラッキー」を連発しながらも笑いのとまらないサーフ選手。
特選譜 三村卓也 対 ジョナサン・サーフ
(決勝3番勝負第2局)
背水の陣、中盤の打撃戦に屈す
(白36迄の局面)
(実戦原図)黒番
敗れはしたが、世界オセロ史上に名を残した三村卓也氏
形勢は全く互角。双方一歩も引けぬ鍔迫
(つばぜ)
り合いです(正解1図→参考正解2図)
第4回世界オセロ選手権大会決勝3番勝負第2局(ロンドン.1980.10.27)(1局目は44対20でサーフ氏の勝)
黒
三村卓也(日本)
21
白
J・サーフ(アメリカ)
43
(正解1図)絶対この1手!
(参考正解2図)黒32−白32
実戦原図から実戦では、
2石損(正解はa5)、
6石損(正解はg8)の悪手を打ち、以後黒に勝つチャンスはなく、最後は駄目押しの10石損
迄打って差は開きました。
「グレイトニュース、アメリカがオセロで世界一になった!」として、テレビや新聞では大きく報道されました。チェスでアメリカのロバート・フィッシャーがソ連のスパスキーを破って世界チャンピオンになった時、チェスの用具が全米の売り場に全くなくなった(売り切れて生産追いつかず)ように、これをきっかけとして全米にオセロが一気に普及して行きました。
D.第5回世界オセロ選手権大会
(ブラッセル.1981.10.23〜25)
リーグ戦上位3傑
(総当り1人2局打ち)
順
位
名
年
令
職業
国
勝
負
石数
1
丸岡秀範
19
大学生
日本
14
2
745
2
B.ローズ
17
高校生
アメリカ
14
2
725
3
P.モローリ
20
大学生
イタリア
13
3
704
持時間各30分(全日本の1.5倍)、まる2日間で1人16局打つ激闘18時間の強行軍!実力・体力共に抜群の左記の若手3選手による激しいトップ争いが展開されました(終わった時のトップが即・世界チャンピオンになる。但し、勝ち星が同じなら上位者によるプレーオフという規定)。1日目午前終了時は、1位イタリア、2位アメリカ、3位日本。1日目が終わった時は1位アメリカ、2位日本、3位イタリアとなり、この3者から優勝者がでることは明らかで、このままだとアメリカに逃げ込まれる可能性大。
しかし、2日目の第1局でローズがモローリに敗れたため、丸岡がトップに躍り出たと思ったのもつかの間、今度は丸岡がモローリに食われてしまう。イタリアのモローリ選手は、完全に今大会の台風の眼となり、一喜一憂、観戦者を存分に楽しませてくれました。
結果は上記の表。三強(丸岡、ローズ、モローリ)は互いに1勝1敗で五分の星、ただモローリだけがフランスのピンガードに1敗(2石差)したのがたたって13勝3敗。プレーオフ・1番勝負は、14勝2敗同士の丸岡対ローズで行われ(予選1位の丸岡に石の選択権があり、黒を選択)、丸岡が勝って優勝!
燦然
(さんぜん)
と輝く2度目の優勝杯を世界オセロ連盟のベッカー会長から受け取った丸岡選手がしみじみと語った言葉、「今年ほど苦しかったことはない。来年の全日本チャンピオンは大変ですね。」が印象的でした。
注1
アンドレア・P・モローリ(イタリア.20才)……第2回世界大会(ニューヨーク)にイタリア代表として出場した時は17才の高校生で、予選Bリーグで丸岡五段、ヘイバーグ(チェス名人)に完敗、1勝もできず予選敗退。3年後再び現れた今回は強腕の一流オセラー。十代の3年間の成長の凄さ!
ブライアン・ローズ(アメリカ.17才)……彗星
(すいせい)
のように突如現れて全米を制した天才少年。アメリカオセロ界の期待の星。フィッシャー(20世紀にアメリカが生んだチェスの世界チャンピオン)が全米チェスチャンピオンになったのは14才の時です。これと同じ位の若さ(17才)で全米オセロチャンピオンになったローズ選手に対し、1981.10.13のQueens Newsday紙は「オセロ界のカルポフ(現チェス世界チャンピオン・ソ連)!」と最高の評を書いています。今回は惜しくも準優勝!
ローズ氏が初めてオセロの世界チャンピオンになったのは、何と20年後の第25回世界オセロ選手権大会(ニューヨーク.2001.11.10)の時で、37才、洋子夫人(オセロ五段)との間の3人の子のお父さん。
丸岡秀範(左)とアンドレア・P・モローリ
丸岡秀範(左)対B.ローズの決勝
(ベルギー・ブラッセル・アストリアホテル)
特選1譜
リーグ日伊戦第2局(1局目は丸岡勝)
【兎1】
黒
P.モローリ(イタリア)
36
白
丸岡秀範(日本)
28
特選譜2
プレーオフ・決勝1番勝負(1981.10.25)
【兎1】
黒
丸岡秀範(日本)
41
白
B.ローズ
(アメリカ)
23
【特選譜1、黒51迄の局面】
ここでどう打つ? 白番
→
正解
→
正解手順
黒32−白32
[解説]
と勝負手のX打ちを敢行すれば引き分け(0.5勝)であり、すんなりと(プレーオフなしで)丸岡選手の優勝が決まったでしょう。実戦
(b8)は8石損の悪手。
【特選譜2、黒49迄の局面】
背水の陣です! 白番
→
正解(1図)
運を天に任せた勝負手のX打ち!
→
正解手順
黒33−白31
[解説] 「人事を尽
(つ)
くして天命を待つ」といいますから、ここは及ばぬ迄も、最強の(最善手です)の勝負手のX打ちを敢行し、あとは運を天に任せたら、実戦は逆の結果になっていたかも知れません。1図から、黒Aなら(白4石勝)、黒アなら(白2石勝)、黒☆なら引き分けで、実戦ならそのいずれかになる可能性極めて大。背水の陣の原図で、白がX打ちに思い至らなかったのは残念(20年待つことになった)!X打ちの謎は深まるばかりです。
大会終了後のディナーの席で
全英チャンピオン・パーカー博士(右)と筆者
大会終了後、各国選手、関係者70人ほどが集まって、お別れパーティーが開かれましたが、その時、偶然、筆者の隣に座ったのが全英オセロチャンピオンのパーカー博士(大学教授・数学)でした。
初対面でしたが、オセロを通じて百年の知己のように話がはずみ、お互いのオセロの著書も交換、パーカー博士の著書は“The Key to Othello”という標題の立派な本でその場でサイン入りで頂いた。筆者の本は、デイリースポーツ紙上に毎日、1年以上書いたオセロの実戦を中心とした連載をまとめた本で、その中にあったウォック氏(全英オセロチャンピオン)との写真及び対局棋譜をしばらくじっと見詰めていたパーカー博士は、そこで一局所望(敵
(かたき)
打ち?)、これを受けて対局を始めたのが右上の写真で、大熱戦の末これは返り打ち!
あちこちのテーブルでオセロの対局が始まりました。皆、オセロを打つのが好きな人達なのです。日本関係者は次の予定があるので全員別のホテルに引き上げましたが、次の対局者と途中で止めるのは失礼ですので筆者は1人残って対局を続けました。それも終了し、帰ろうとしたら、モローリ選手から一局所望、周囲を見渡すと、まだ打っている人、飲んでいる人は沢山います、そこでモローリ氏(イタリア・チャンピオン)と打ち始めました。彼とは、3年前ニューヨークで打ったことがありましたが、その時の彼とは全く違っているのは筆者自身が一番よく知っていました。モローリ氏にパーフェクト勝(64石勝)を収めたのは幸運という他はありません。「ストロンゲストマン!」誰かがいうのを耳にしました。
皆と握手をして、ホテル・アストリアを出て、ブラッセルの夜道を1人ゆっくりと歩いて帰りました。
(2003.6.1 長谷川五郎 記)
百人の物語
> (第6回)佳境に入った全日本と世界オセロ選手権大会(その2)
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