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オセロ史を飾った百人の名選手の物語
(第10回)第2黄金期(1983〜1990)とその周辺(その1)


1. 青丹よし奈良の都は咲く花の匂うが如く今盛りなり (第1黄金期)
第1黄金期(1973〜1982)
盲人オセロ選手権大会
 王道とは、王者が開拓した王者への道

2. 第2黄金期(1983〜1990)に活躍した最強のオセロプレイヤー達
7人のチャンピオン・長谷川武、石井健一、谷口良一、ポール・ラル、滝沢雅樹、滝沢信行、為則英司とその周辺
A. 史上初・三冠独占(1984.4.1〜1984.7.31)した石井健一
特選 1)  石井健一  〜  村上健  ( 第11回全日本準決勝)
2)  渡辺康晴  〜  石井健一  ( 第11回全日本決勝)
3)  I.リーダー  〜  石井健一  ( 第7回世界決勝3番勝負第2局)
4)  石井健一  〜  滝沢信行  ( 第5期名人挑戦者決定決勝)
5)  長谷川武  〜  石井健一  ( 第5期名人戦4番勝負第2局)
昇り竜・石井健一は“追い風”に乗って天に昇った(三冠を獲った)!
I. 世界オセロ史を変えた1手!(特選2、渡辺・石井戦)
II. 終盤の連続2手の悪手で逆転!(特選5、長谷川・石井戦)
実戦1図 永遠の謎はモナ・リザの微笑とオセロのX打ち
実戦2図 山内一豊の妻は絶 好の時期に黄金十両を使った。
B. 初出場・初優勝の快挙、谷口良一(17才)の登場(第12回全日本.1984)
第12回全日本オセロ選手権無差別の部(1984.7.29.帝国ホテル)
まさに若さの爆発!上位独占した高校生トリオ
特選 1. 谷田邦彦  〜  谷口良一  (決勝)
2. 為則英司  〜  谷口良一 、河村末告 〜 谷田邦彦(準決勝)
3. 村上 健  〜  谷口良一  (準々決勝)
I. 1手バッタリの大錯覚!  (決勝、谷田 〜 谷口戦)
C. 第8回世界オセロ選手権大会 (1984.10.27〜28 オーストラリア・メルボルン)
決勝トーナメント…ポール・ラル(16才、フランス)が優勝
特選譜第4局…ポール・ラル谷口良一
決勝第1局、決勝第2局、予選1回戦、予選4回戦
「オセロは国際親善語」(下之園理事談)
絶妙のX打ちで世界を制す!(決勝3番勝負第2局)
両選手の大局観の相違(黒、チャンスボールを見送る!)
突如飛び出したダイヤモンドのX打ち!(フランス初優勝)  
D. その周辺 (パリ国際オープン他)
I. パリ国際オープン (1984発足、毎年夏開催)
第1〜7回優勝した5人の名選手(ラル、村上、シェイマン、リーダー、ブライトウェル)
II. オセロ王座戦 (1984.1.3発足、毎年1月3日開催)
III. 現在も活躍中の全日本女子チャンピオン(堀内恵子、石井まさみ)
IV. オセロは国内・国外の親善語
手作りのひょうたん




第10回 第2黄金期(1983〜1990)とその周辺(その1)


 あおに にお ごと
1. 青丹よし奈良の都は咲く花の 匂うが 如く今盛りなり(第1黄金期)


 ☆第1黄金期(1973〜1982)

 原始時代、飛鳥時代を経て、日本の文明が開花したのは8世紀の奈良時代でした。古事記、日本書紀ができ、聖武(しょうむ)天皇は奈良の大仏を造りました(752)。光明(こうみょう)皇后は悲田(ひでん)院・施薬(せやく)院を設けて、みなしご・病人を救いました。福祉国家日本の原点をそこに見ることができます。
 第1〜10回全日本オセロ選手権大会(1973〜1982)時代がオセロの第1黄金期と呼ぶことができます。その間に、世界オセロ選手権大会(1977〜)や、オセロ名人戦(1980〜)も順風満帆でスタートしました。その辺は、前回迄に詳述しました。


 ☆盲人オセロ選手権大会

 東京都庁福祉局勤務の青木成美(しげよし)氏(現宮城教育大学教授)より、「一般人が覚えるのに、囲碁半年、マージャン2週間といわれていますが、オセロなら5分もあれば誰でも打てるようになれるし、内容も変化に富んでいて面白い。娯楽の少ない盲人のために盲人用のオセロも是非作ってほしい。」との申し出があり、その趣旨に連盟もメーカーも賛同、盲人用オセロが制作されました。盲人用オセロは石の片面(黒)に渦巻(うずまき)がついているため両面の区別ができ、また手でさわっても盤面がくずれないように、ます目が高くなっています。日本点字図書館での販売も好調で1万台以上出て全国の盲人の方々に大変喜ばれました。
 青木氏と親交のある日本点字図書館の本間一夫理事長、職員の花島弘氏はじめ多数の関係者のご尽力により、第1回全日本盲人オセロ選手権大会開催の運びとなったのが1980年。日本点字図書館、日本オセロ連盟共催(後援・愛の小鳩事業団)で、前日に点字図書館で開催された最終予選大会には、福岡、高知を含む全国の盲人オセロ愛好者32名が参加。上位8名が翌日、第8回全日本オセロ選手権大会の同じ会場で、無差別の部、女子の部、少年少女の部、盲人の部として対局、トロフィー、免状等の表彰も各部門一緒という楽しい雰囲気です。「晴眼者の方々との対局を望む声も高いのでよろしくお願いします。」と花島弘氏(盲人大会世話役)は語りました。

 第2回盲人大会入賞者と共に。前列左から酒井康充(2位)、藤井厚子(優勝)、本間一夫(点字図書館理事長)、筆者、ボランティア・オセロ師範の丸尾学、山本哲三、松本捉夫(3位)、宮本正幸(4位)、後列左・花島弘の皆さん(1981.8.9.第9回全日本オセロ選手権大会各部門同時表彰式後の記念写真、於帝国ホテル)
 この方式は毎年行われ、どんどんと強い選手も育ち、二極化現象も顕著になりました。20回のうち、特に7回〜20回で香取氏5回、尾崎氏4回、増田氏2回優勝!
 21世紀からは、花島氏の理想通り、晴眼者との壁は取り払われました。香取氏も尾崎氏、増田氏も巷間行われている普通のオセロ大会にも出場しています。
 1人でも多くのファンに本場の空気をじかに味わって貰いたいという意向で、全日本オセロ選手権大会にマスターの部(40才以上)が新設されたのは1990年からですが、盲人オセロ日本一の香取通浩三段は、第24期オセロ名人戦マスターの部13位(2003.3.22)、第31回全日本オセロ選手権大会マスターの部2位(盲人新記録。2003.8.2)という活躍ぶりです。香取氏の側には、いつも温かく付き添う夫人の姿がありました。マスターの部優勝者には四段位が贈呈されますが、香取氏のマスターの部優勝・四段位獲得はもう時間の問題かも知れません。
 社会福祉法人・日本点字図書館理事長を何十年も務めた本間一夫氏が、最近(2003.8.1)87才の天寿を全うして亡くなられましたが、本間氏の意志はこのようにオセロ界でも立派に育っております。


王道とは、王者が開拓した王者への道

迄虎2定石
(実戦原図)
は?
(1図)
実戦、三段が打った手
世界チャンピオンが打った手(2図) 名人が打った手(3図)
第31回全日本オセロ選手権大会マスターの部決勝【虎2】
マスター名人 東條淳
四段(北陸近畿代表)
46
三段 香取通浩
(北関東代表)
18

(於代々木オリンピックセンター 2003.8.2)

 1〜3図は、オセロ大観“虎2の打ち方”(P182〜183)よりの引用で、そこには実戦総譜9局も掲載されています。2図は、為則英司、金田繁、ポール・ラル(いずれも世界チャンピオン)が実戦で打った手、3図は、滝沢雅樹八段、北島秀樹七段(いずれも名人)が実戦で打った手で、2図と3図は虎2定石からの2大王道で以降の代表的変化は「オセロの勝ち方P81〜83」にも載っています。
 しかし、1図は浦流と呼ばれている打ち方で、浦悟三段(北関東)だけが愛用している横道で、王道ではありません。同じ北関東の三段同士、1図は浦・香取戦で何十局も打たれたと推測されますが、無差別の部上位入賞の選手が1図を打ったのをまず見たことはありません。少なくとも、1図と打った無差別の選手は上位迄勝ち上がれなかったのです。換言すれば、1図は、2図あるいは3図より劣った打ち方です。マスターの部最年少、気鋭のマスター名人・東條四段という格上の相手に、決勝1番勝負で、序盤早々1図を打ったのは、平幕が関脇に対して相手だけに上手廻しを取られてガップリ左四つに組むようなもので、実戦は以降殆ど勝負処もなく一方的に押し切られてしまった感じです。課題は残りました。



2.第2黄金期に活躍した最強のオセロプレイヤー達


7人のチャンピオン・長谷川武、石井健一、谷口良一、ポール・ラル、滝沢雅樹、滝沢信行、為則英司とその周辺

A.史上初・三冠独占(1984.4.1〜1984.7.31)した石井健一

(特選1)
第11回全日本オセロ選手権無差別の部準決勝 【バッファロー】
(特選2)
第11回全日本オセロ選手権無差別の部決勝 【兔1】
(特選3)
第7回世界オセロ選手権決勝3番勝負第2局 【牛・ヨット】
石井健一(東京)37
村上 健(東京)27
(於帝国ホテル)
渡辺康晴(東京)19
石井健一(東京)45
(1番勝負 1983.7.31)
I.リーダー(イギリス)19
石井健一(日本)45
(フランス・パリ 1983.10.9)
 

(特選4)
第5期オセロ名人挑戦者決定1番勝負 【バッファロー】
(特選5)
第5期オセロ名人決定4番勝負第2局 【バッファロー】

石井健一八段
第2黄金期初期から中期にかけて大活躍した名オセラー。全日本2、世界2、名人3、計7回タイトル獲得。闘牛定石からの王道の1つ白6には“石井流”の名がつけられている(オセロ大観 P162)。
六段・全日本、世界チャンピオン
石井健一(シード)
36
三段
滝沢信行(新潟)
28
(於新宿らん 1984.3.25)
名人 長谷川 武25
挑戦者、全日本・世界チャンピオン
石井健一
39
(於デイリースポーツ本社 1984.4.1)


昇り竜・石井健一は“追い風”に乗って天に昇った(三冠を獲った)!

 竜も大鷲(おおわし)も“追い風”を巧みに利用して空高く舞い上がります。オセロの“追い風”とは相手のことを指します。相手が好手を打てばそれは当方にとって逆風であり、相手が悪手を打てばそれは労せずして勝をもたらす“追い風”になります。
 「オセロ」とは、好手を打って勝つゲームではなく、悪手を打って負けるゲームなり(格言)」といられていますが、無限の変化を蔵し、1手ごとに局面が一変するオセロの中終盤は人智を越えて奥深く、厳しい制限時間内で打つ実戦では、名手でも悪手を打ってしまうのは日常茶飯事。
 しかし、悪手を打ってしまったのも実力のうち、相手に悪手を打たせたのも実力のうちです。ルールに従って対局し、勝った者が強者、勝ち続けた者が最強者・チャンピオンです。そのチャンピオンを3つ同時に獲った石井健一のオセロとは?


 .世界オセロ史を変えた1手!(特選2、渡辺・石井戦)

(特選2・実戦原図)は?

(実戦)好手に見える大悪手・敗着の☆打ち!
 

全日本決勝1番勝負、石井(左)と渡辺の両選手。



 共に6連勝で決勝初進出。初優勝・初の世界大会出場がこの一戦で決まる大一番も、あと13手、ゴールも間近、黒優勢です(実戦原図)。
 しかし、ここで渡辺四段は、30石損の大悪手・黒47を打ってしまったのです。一見、偶数理論にも合った☆打ちという好手に見える所が落とし穴!もし、渡辺氏(25才)が黒47を正解のに打っていたら、世界選手権の結果も当然変わっていたでしょうし、石井三冠王の実現もなかった筈です。
(黒42〜白22)

(正解手順と解説)
は全日本無差別決勝に出る選手なら、時間さえあれば打てた手。惜しむらくは、この時渡辺氏の持時間切迫!の次に☆,C,☆1の3つが黒の余裕手、ここ迄読めてたら…。
(実戦原図からの正解手順)
大悪手に見える最善手!! 肉を切られても… 絶好のX打ち!



 II.終盤の連続2手の悪手で逆転!(特選5、長谷川・石井戦)

 デイリースポーツ本社の会議室で行われた本局の結果及び棋譜は、連日同紙上に掲載されました。挑戦者が現役の全日本・世界チャンピオンということで話題を呼びました。4月1日、今日から高1になった15才の長谷川名人は、新幹線に4時間乗って単身上京。
実戦(1図) は?
実戦(2図) は?

 猛攻好防の白熱した勝負展開の末、黒(長谷川名人)優勢で終盤戦に突入しました(1図)。但し、1図は極めて複雑難解な局面で黒の持時間は容赦なく刻一刻と切迫!
 時間も勝負のうちです。世界選手権準決勝又は決勝なら、ここで10分近く読んで最善手のC打ちを打てた筈ですが、そんなことをしたら、たちまち時間切れ大差負けになってしまいます。実戦は読み切れぬまま勘で打った偶数理論のX打ち(6石損の緩手)、続いて打ったは早すぎた余裕手の放出(敗着、6石損)!

 ☆実戦1図からの正解手順
常識や勘ではとても打てない八方破れの構えのC打ち(最善手)! 当然の反撃 1石返し手待ちで黒8石リード。ここ迄読んで初めてを打てる。
 
1図正解続き
黒36−白28
永遠の謎はモナ・リザの微笑とオセロのX打ち
 打つ時期・場所によってダイヤモンドにも石ころにもなるのがX打ちです。1図の正解はのC打ち(4つのX打ちは総て石ころですが、実戦黒43は最善の石ころだったので、追い込まれたが黒はまだ残っている!
(実戦)緩手・6石損のX打ちで土俵際迄追い込まれた

 ☆実戦2図からの正解手順
ダイヤモンドのX打ち! 当然の反撃! 手待ち!(余裕手は温存、白壁を破らず)
 
2図正解続き
黒33−白31
(実戦)敗着!早まった余裕手の放出(6石損)
昔、山内一豊の妻は絶好の時期に黄金十両を使った。
 絶好の時期に使ったからこそ、黄金十両は千両以上の価値を生みました。「1つの余裕手は1つの☆打ちに勝る(格言)」といわれていますが、本局のように折角1つの余裕手を持ちながら、その放出のタイミングを誤れば、それが即負局につながる手と化してしまうのがオセロの厳しさです。


B.初出場・初優勝の快挙、谷口良一(17才)の登場(第12回全日本1984)

第12回全日本オセロ選手権無差別の部(1984.7.29.帝国ホテル)

まさに若さの爆発!上位独占した高校生トリオ

1位、 谷口良一 (東京 代表 17才) 初段  
2位、 谷田邦彦 (東京 代表 17才) 七段
3位、 為則英司 (関西 代表 15才) 三段
4位、 河村末告 (北海道 代表 23才) 五段
 シードの全日本チャンピオン・石井健一七段(19才)は、午後(ベスト16人)のトーナメント1回戦で、
決勝1番勝負【闘牛A】

七段谷田邦彦(東京)21
初段谷口良一(東京)43
ベテラン大和久道夫三段(東関東代表29才)に敗れて、全日本連覇の夢を断たれたと同時に、10月末にメルボルン市で行われる第8回世界オセロ選手権大会出場の夢もなくなりました。同時三冠の記録は122日、全日本連勝記録は10でストップです。
 それにしても、初出場・初段・高3の谷口君の優勝の事実は凄い。規定によって初段から六段へ一気に五段飛びは新記録。実力にプラスしてどんな追い風が吹いたのか?

準決勝 【牛・ヨット】
準決勝 【バッファロー】
順々決勝 【闘牛】
為則英司(関西)29
谷口良一(東京)35
河村末告(北海道)30
谷田邦彦(東京)34
村上 健(東京)31
谷口良一(東京)33



[決勝]谷田(黒)−谷口戦
実戦原図  は?


決勝、谷田邦彦(左)と谷口良一
 .1手バッタリの大錯覚!
(決勝、谷田・谷口戦)

 高3、17才、6連勝同士、但しこの一戦で7連勝と6勝1敗は天地の差、チャンピオンになって世界大会に出場するかそうでないかの差。は谷田定石となった意欲的な新手(オセロ大観P165)で、をe7(中辺の横取り)に打っていたら、黒はここで局面の主導権を握ることができたでしょう。
 実戦原図は互角の形勢で、総ては今後の打ち方次第です(正解)。

(正解) 形勢互角 (実戦)大悪手、アウト!

 実戦は、天王山でない所を天王山と速断した錯覚の大悪手で、その結果、白にA,Cという2個の余裕手が無条件で生じたのですから、もうこれは論外でしょう。白、棚ぼたの勝利!



C.第8回世界オセロ選手権大会 (1984.10.27〜28 オーストラリア・メルボルン)



 ☆特選譜4局

ポール・ラル 谷口良一
ヨーロッパ・オセロ・グランプリ者
フランス・オセロ・チャンピオン
全日本オセロチャンピオン

決勝第1局
決勝第2局
予選1回戦

黒 ラル34−30谷口

黒 谷口15.5−48.5ラル

黒 ラル39−25谷口


ポール・ラル対谷口良一の熱戦
下之園広蔵理事(左)と谷口選手
(メルボルン)
予選4回戦

黒 谷口33−31ラル

 日本オセロ連盟理事・下之園氏談「広大な豪州大陸にきて気分も壮大になり、緑に包まれたメルボルン大学内の迎賓館で行われた各国との交歓パーティーは大変楽しく有意義でした。翌日の大会では、米国から来た元世界チャンピオンのサーフ氏が審判長となって、実に見事に運営されました。大会前には大勢の記者が来て質問攻めに会いましたが、サーフ氏と私が手際よく実演を交えて答えておきました。翌日の各紙にオセロが大きく取り上げられておりました。
 仏のラル君は物静かな好青年、彼の優勝は即日テレビで全仏に放映されフランス国民は皆喜びにひたったそうです。これを切っ掛けとして、今後フランスにオセロは普及して行くでしょう。
 よく、音楽は世界の共通語といいますが、今大会に同行してみて、オセロこそ世界のどんな人とでも仲良くなれる国際親善語だという印象を強く受けました。」


 ☆絶妙のX打ちで世界を制す!(決勝3番勝負第2局)

実戦(1図) は? ポンと飛び出したラル定石
 1図は兔1定石。定石とは先哲が切り開いた道であり、ここからはアまたはイと打つのが定石でした。
 実戦は詩人ラルの新手。打たれてみると一応の手。今では、ラル定石は堂々とオセロ界を闊歩しています。

実戦(2図) は? 黒・谷口の読み
「これで黒よし!」
白・ラルの読み
「これで白満足!」

両選手の大局観の相違(黒、チャンスボールを見送る!)
谷口「右辺にと悪形のウイングを打たせて、黒ウと手止まりを打って白に手を渡せば、黒優勢。」
ラル「たとえ、ウイングができても、この場合は右辺2手打ち( )の手得の方が優る。白は満足。」

2図からの正解
断呼、白の右辺2手打ちを許さず!
当然の反撃 右辺に山(好形)、白の動きを催促。黒好調!

 上図正解のように打てば、ここで黒は局面の主導権を握ることができました。そして、多分、勝負は第3局目に持ち越されることになったでしょう。実戦黒19はチャンスボールを見送った惜しむべき1手。結果的には、この1手がオセロ史を変える1手となりました。

実戦(3図) 白にX打ちがあるのを発見してギョッ! 白エを期待したのだが… ダイヤモンドのX打ち!黒アウト

 谷口「3図迄かなり黒(谷口)有利で楽勝だと思っていた私は、ここでのX打ちがあるのに気付いて愕然(がくぜん)となったが、もうすでに遅かった。相手がこのX打ちに気付かず白エと打ってくるのを期待してを打ったが、彼はすかさずX打ち!フランスの初優勝を決めた1手!」



D.その周辺 (パリ国際オープン他)

 .パリ国際オープン (1984発足、毎年夏開催)

 ヨーロッパ・オセログランプリ・パリ国際オープンは1984年夏に発足し、現在迄20回行われています。2日間かけて全員11局ずつ打ち、上位2人が改めて3番勝負を打つという内容の濃い大会で、欧米では世界選手権に次ぐ権威ある大会です。その第1回大会優勝者ポール・ラルが2ヶ月後に世界チャンピオンになったので、一躍、世界のオセロファンから注目を浴びることになりました。
 世界オセロ選手権大会の2ヶ月程前に同じ方式で行われるパリ国際オープン優勝者は皆世界の舞台でも大活躍しています。第1〜7回優勝者(1984〜1990第2期黄金期)5人は、いずれも世界に名をとどろかせた名オセラーです。全員、次回以降に本欄で登場します。

パリ国際オー
プン優勝
その後の世界選手権での活躍
決勝3番勝負進出世界チャンピオン
第1回,第4回 P.ラル フランス 5回 1回
第2回 村上 健 日本 3回 3回
第3回 D.シェイマン アメリカ 6回 3回
第5回,第7回 I.リーダー イギリス 2回  
第6回 G.ブライトウェル イギリス 3回  


 II.オセロ王座戦 (1984.1.3発足、毎年1月3日開催)

 関東オープンオセロ大会A級(有段者)は、日本選手の原動力となっているハイレベルの大会で、毎月1回新宿宇宙(コスモ)で開催され、2003.9.28には第262回が開催されています。現世界チャンピオンのD.シェイマン氏や第25代世界チャンピオンのB.ローズ氏も今年(2003)この大会に出場しています。
 関東オープンA級年12回の決算、新年度12回の門出を祝う大会がオセロ王座戦で1984年1月3日に発足し、2003年1月3日には第20回目が行われています。パリ国際オープンやオセロ王座戦歴代優勝者の名は、世界・全日本・名人と共に「オセロ大観」に載っています。


 III.現在も活躍中の全日本女子チャンピオン(堀内恵子、石井まさみ)



第11代、堀内恵子さん。第4期88オセロ名人戦女子1位(2003.9.21)

第18代、石井まさみさん(左)対戦相手は伊地知真美(現山中女流名人)さん。

第12、13代連覇の故松井琴子さん(中央)、鈴木敏彦理事(左)と筆者



 IV.オセロは国内・国外の親善語



日本のオセロの本、ひょうたん。


オセロの季刊誌(日、仏、伊)手前はイタリア・オセロ連盟発行のオセロの本。


北海道からも全日本女子の部本戦に出場した車椅子使用の選手達


全日本オセロ選手権出場者を決める地区予選は各地で行われている。広島市で行われた中四国代表選抜大会の光景。

 ☆手作りの瓢箪(ひょうたん)

 人として生まれた以上、生老病死は絶対に避けられない運命です。前述の本間一夫氏は5才の時病気で失明して以来、盲目という病気と共に82年全国の盲人のために生き、オセロを盲人の生活に取り入れたりして87才の天寿を全うされました。
 統計では、毎年約1万人が交通事故で亡くなってます。これは警察が直接関与して事故後24時間以内死亡の実数ですから、死傷者の実数はその何十倍にもなるでしょう。警視庁の調べでは、自転車乗車中と限定しても、その死傷者数は2002年に18万人です。
 静岡県天竜市にある社会福祉法人天竜厚生会という身体障害者施設厚生寮(1200人が入所)の鈴木豊治氏より、日本オセロ連盟静岡本部長の鈴木敏彦理事の所へ手紙がきたのをきっかけとして、そこから一歩も外に出られない人々のためにオセロ指導(静岡県在住の藤田順一四段達)が始まりました。筆者も何回か出掛けて10面打ち指導をしたことがあります。何年か経つうちに凄く強いオセラーも育ってきました。施設内オセロ東横綱には松井琴子さんの名が張り出されておりました…。
 ボランティアの人々は、朝4時起床、ワゴン車を運転して厚生寮へ行き、松井さん達を乗せて東京の全日本オセロ選手権大会の会場へ直行、年1回の本場のオセロ大会に出場できるということだけで、松井さん達にとってそれは最高の喜びでした。そのうち、本当にひょうたんから独楽(こま)が出て、松井琴子さんが全日本女子の部で連続優勝!(上記写真)。松井琴子さんが病没されてからもう十数年になります。第31回全日本オセロ選手権女子の部(2003.8.2)には車椅子の太田善子さん(天竜厚生会)が出場しておりました。
 上記手作りひょうたんは、最近、阿部重二氏(天竜厚生会)より、鈴木敏彦氏と筆者の自宅へ送られてきたものです。阿部氏は、自動車事故で一命をとりとめたものの、以来一生車椅子の生活になった人ですが、物は比較で、助かったということに感謝し、趣味(オセロ、ひょうたん作り他)を生かし、明るく元気に生活しています。




(2003.10.1 長谷川五郎 記)




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