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オセロ史を飾った百人の名選手の物語
(第11回)第2黄金期(1983〜1990)とその周辺(その2)



2. 第2黄金期(1983〜1990)に活躍した最強のオセロプレイヤー達

E. 全日本チャンピオン=世界チャンピオンの時代(1985〜1990)

国内の熾烈(しれつ)な戦いを勝ち抜いた筋金入りの四横綱の登場!
I. オセロ名人戦では
II. 全日本オセロ選手権大会では
III. 世界オセロ選手権大会では
IV. 四横綱(石井健一、滝沢雅樹、滝沢信行、為則英司)及び四横綱と戦った名選手達 ジダルダート(イタリア)、シェイマン(アメリカ)、ラル(フランス)、ブライトウェル(イギリス)、ピオ(フランス)、リーダー(イギリス)

この1局でタイトルが決定した重要な熱戦譜18局を一挙掲載
I. オセロ名人戦(第6期〜第11期、1985〜1990)
第6期 石井健一 滝沢雅樹 第7期 石井健一 滝沢信行
第8期 滝沢信行 石井健一 第9期 為則英司 滝沢信行
第10期 為則英司 滝沢雅樹 第11期 為則英司 中島哲也
6.石井名人際どく防衛! 7.石井名人3連覇(史上タイ)! 8.滝沢信行新名人の誕生(摩訶不可思議のX打ち)! 9.新名人為則時代の幕開け! 10.鬼神為則のKOパンチ炸裂(さくれつ)! 11.若武者颯爽と登場!しかし大横綱の牙城は鉄壁だった。

II. 全日本オセロ選手権決勝1番勝負(第13回〜第18回、1985〜1990)
第13回全日本決勝滝沢雅樹−坂口和大
新時代の台頭・滝沢四段初優勝!
第14回全日本決勝為則英司−片山雄二
新星為則初栄冠に輝く!
第15回全日本決勝石井健一−村上健
石井七段2度目の優勝!(無念・返り打ち!竜は雲に乗って再び天に舞い上がった!)

(第16〜18回)そこ退(の)けそこ退け鬼神・為則が通る!オセロ界の双葉山・連勝街道を驀進(ばくしん)
第16回全日本決勝 為則英司−金田繁……新鋭金田善戦すれど力及ばず玉砕!
第17回全日本決勝 為則英司−滝沢雅樹…鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で破る!
第18回全日本決勝 為則英司−滝沢信行…当然のように本局も勝つ!

III. 世界オセロ選手権決勝3番勝負から特選譜1局(第9回〜第14回、1985〜1990)

第9回世界決勝第2局 滝沢雅樹−P.ジラルダート…滝沢初優勝国歌“君が代”演奏!
予選リーグの名勝負、滝沢雅樹34−30 D.シェイマン
第10回世界決勝第2局為則英司−ポール・ラル…為則堂々の初優勝!
第11回世界決勝第3局石井健一−ポール・ラル…際どい競り合い、石井2度目の栄冠!
団体戦はアメリカチームが優勝
(第12〜14回)世界のひのき舞台に鬼神出現!天才ブライトウェル(イギリス)も、俊英ピオ(フランス)も連敗、連敗、連敗!
第12回世界決勝第2局為則英司−G.ブライトウェル…鬼神のブラックライン通しのX打の連打に天才ブライトウェル脱帽
第13回世界決勝第2局為則英司−G.ブライトウェル
世界オセロ界東西の正横綱同士の再決戦の実現!(鬼神対天才)
…為則は最強最善のX打ち黒37で勝負を決めた!
第14回世界決勝3番勝負為則英司−D.ピオ
第1局ピオ完敗
第2局途中でピオ崩れる





第11回 第2黄金期(1983〜1990)とその周辺(その2)


2. 第2黄金期(1983〜1990)に活躍した最強のオセロプレイヤー達

E. 全日本チャンピオン=世界チャンピオンの時代(1985〜1990)

西暦 名人戦 全日本選手権大会 世界選手権大会
(期) 名人 敗者 (回) チャンピオン 2位 (回) チャンピオン 2位
1985 6 石井健一 滝沢雅樹 13 滝沢雅樹 坂口和大 9 滝沢雅樹 (イタリア)
P.ジラルラード
86 7 石井健一 滝沢信行 14 為則英司 片山雄二 10 為則英司 (フランス)
P.ラル
87 8 滝沢信行 石井健一 15 石井健一 村上健 11 石井健一 (フランス)
P.ラル
88 9 為則英司 滝沢信行 16 為則英司 金田繁 12 為則英司 (イギリス)
G.ブライトウェル
89 10 為則英司 滝沢雅樹 17 為則英司 滝沢雅樹 13 為則英司 (イギリス)
G.ブライトウェル
90 11 為則英司 中島哲也 18 為則英司 滝沢信行 14 為則英司 (フランス)
D.ピオ

 ☆国内の熾烈な戦いを勝ち抜いた筋金入りの四横綱の登場!

 タイトルを取るということは大変なことです。同年輩は打ち負かし、後輩は情け容赦なく叩き、先輩にぐんぐん追いつき(道を開くは難(かた)し。されど、後を追うは易(やす)しは古来の真理)追い越したら、もう2度とその先輩に追い抜かれない!その非情さに徹した者のみが、日本一、世界一のタイトルを連覇することができるのです。上掲のタイトル保持者一覧表はそう語っています。
 とに角皆若い。第13回全日本(1985.7.28)時点の各選手の年齢は次の如し。

ブライトウェル 22才 石井健一 20才 ジラルダード 18才 ポール・ラル 17才
片山雄二 21才 滝沢雅樹 20才 滝沢信行 17才 為則英司 16才
村上 健 19才 坂口和大 17才 金田 繁 14才 中島哲也 13才

……太字はチャンピオン。14才金田繁は全日本少年少女チャンピオン。

 滝沢雅樹・信行兄弟は、その少年時代から井上博八段(第1,3代世界チャンピオンが、その才能を高く評価していた逸材で、ここにきてその才能が一気に開花しました。本来なら、ここから滝沢兄弟時代到来なのでしょうが、現実にはそこに“登り竜”石井と“鬼神”為則が出てきて、四横綱による熾烈(しれつ)な競り合いが展開されることになりました。
上記表を御覧頂ければ、それは一目瞭然です。

I.名人戦では、第6〜8期の3年間は、石井名人対滝沢兄弟との死闘となりました。いずれも4局フルセット戦った末、同年輩(兄)に勝ち(6期)、後輩(弟)を叩いた(7期)石井名人でしたが、後を追う者の強味で若き俊英、信行四段の再度の挑戦に、終に登り竜は地に落ちたのでした(8期)。しかし、信行名人の時代は1年でした。第9期から3年間は、オセロ界は“鬼神”為則独占時代になったからです。為則名人は、翌年弟の仇打ちに現れた雅樹七段(先輩)を返り打ちし(10期)、次に現れた18才の中島哲也挑戦者も情容赦なく叩いて(3局ストレート勝、11期)名人3連覇!

II.全日本選手権大会では、第13〜15回の3年間は、雅樹、為則、石井の三横綱が、1回一ずつタイトルを取り、依然として全日本も世界も毎回チャンピオンは変わり続けます。全日本決勝では、新鋭坂口は雅樹の攪乱(かくらん)戦に振り廻された末に時間切れ負け(13回)、ベテラン片山は17才の為則の怒涛の攻めに屈し(14回)、22才の村上健(後の世界チャンピオン)は肝心の所で竜の尻尾をつかみ損ねて石井“登り竜”は再び天に舞い上がったのでした。

 第16〜18回の3年間の決勝は、文字通り“鬼神(きしん)”為則の1人舞台。3年前の全日本少年少女チャンピオンで17才の新鋭金田の猛突進も、巌のような為則の壁にはね返されて玉砕・時間切れ負け(16回)。春の名人戦に続いて再び現れた滝沢雅樹も、何かまわしに手がかからないうちに土俵の外に出された感じでした(17回、18石−46石)。破竹の6連勝で全日本決勝進出、今度こそと期待された滝沢信行の強腕も、鬼神には全く通じず返り打ち(18回、18石−46石)。1988〜90年で、為則は名人戦と全日本決勝で、滝沢兄弟と4度対決して4度共勝ち、新鋭金田・中島の初挑戦も鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で打ち破り、3年間不敗のまま名人(春)、全日本(夏)、世界(秋)の三冠を独占し続けるという空前絶後の大記録を打ち立てたのでした。

 角聖といわれている横綱双葉山(ふたばやま)は、1936年春場所7日目より1939年春場所3日目迄69連勝(現在の制度・年6場所・1場所15日間で換算すると264連勝になる)という不滅の大記録を作りましたが、為則の全日本オセロ選手権本戦26連勝(1988〜1991)もそれに匹敵する大記録です。全日本チャンピオンになるためには、本戦7連勝が絶対条件、2連覇なら本戦14連勝が絶対条件ですが、挑戦制ではなく勝ち抜き戦方式を採る全日本本戦14連勝は至難の技(達成するのは16,384分の1の確率)。今迄全日本オセロ選手権大会は31回開催されていますが、無差別の部本戦2連覇(14連勝)した選手は、為則九段を例外として、未だ1人もでておりません。

III.世界オセロ選手権大会では、決勝3番勝負に登場することはそれだけで既に一流オセラーの証明です。日本女子オセラーの悲願は、先ず準決勝3番勝負に何時の日にか登場することですが、まだ実現はされておりません。この時期に何と4回も決勝進出したラル(フランス)、連続2度も決勝進出したブライトウェル(イギリス)は超一流オセラーであり、世が世なら何回かここで優勝して歴代世界チャンピオンに名を連ねたことでしょう。特にラルは16才の時、全日本チャンピオン谷口良一を決勝でストレートで破って第8代世界チャンピオンになった天才であり、そのラルがその後、更に研鑚を重ねて、18才、19才、23才の全盛期に3度決勝に進出してきて、第9回決勝3番勝負は、ラル19才〜石井22才の激突となり、1勝2敗で登り竜石井健一に惜敗しましたが、内容は本当に紙一重の差の大熱戦でした。

 ブライトウェル(イギリス)は名門ケンブリッジ大学数学科を卒業したころ、友人のリーダー(全英オセロチャンピオン、第7回世界決勝3番勝負で石井健一に0対2で敗れる)にオセロを教わってからメキメキ頭角を現し、早くも1年後にはヨーロッパ屈指の打ち手に成長。それから2年、25才、第12回世界オセロ選手権大会決勝3番勝負に初登場!その翌年、26才厳しい予選リーグ、準決勝3番勝負を勝ち抜き第13回世界オセロ選手権決勝に再登場!!

 しかしながら、世の中には、自分の才能・努力だけでは如何(いかん)ともなし難い或(あ)る物が存在します。或る物の名を運・逆風・追い風等と呼びます。苦心さんたんの末やっと決勝3番勝負に進出しても、そこにはいつも鬼神為則がでんと座っていたのです。相手が鬼神ではどうにもならず、終に一矢(いっし)を報いることもできずラルもブライトウェルもピオも連敗、連敗、連敗、連敗!


 
 双葉山と照国。23才の若さで横綱に昇進した照国は、動く錦絵のように美しく、リズミカルで巧みな取り口は桜色の音楽(動くうちに真白い肌が桜色になってくる)といわれ、凄く人気のあった力士だが、巨人・双葉山と同時代だったため主役になれず名脇役の1人で終った不運。当時は年2場所で、横綱昇進時の成績が13勝2敗だったが、横綱双葉山も13勝2敗だったので優勝は双葉山(決定戦はなし)。新横綱の場所、照国は14勝1敗でしたが双葉山が15勝全勝。照国が初優勝したのは横綱昇進後8年経ち31才の時で、翌場所も全勝優勝(1951)し、花道を作ることができました。角聖双葉山と鬼神為則、照国とブライトウェルは好対照で、そのうちブライトウェルの世界戦優勝もあるでしょう。
 

IV. 四横綱(石井、雅樹、信行、為則)及び四横綱と戦った名選手達


石井健一

滝沢雅樹

滝沢信行

為則英司
第三世名人 1965生

登り竜は天に昇っても地に落ちても、再び舞い上がっても、ハラハラドキドキ見せ場を作る独特の石井オセロの面白さ。
(左は佃光雄ツクダ店主。中央はJ.ベッカー世界オセロ連盟会長)
第九世名人 1964生

家康流駆け引きの名手。「鳴かざれば鳴く迄待とうホトトギス」流の二枚腰。今も第一線活躍の現役選手。
(新潟市の小学校の先生)。
第四世名人 1967生

信長流強烈な攻めは天下一品。登り竜を地上に落とし、鬼神の全日本連勝記録を26でストップさせた強腕。
(茨城県の高校の数学の先生)。
第五世名人 1968生

鬼神の前に鬼神なく鬼神の後に鬼神なし。全日本選手権本戦26連勝、世界選手権本戦(準決勝3番勝負、決勝3番勝負)20連勝は角聖双葉山の69連勝に匹敵する大記録。


ポオロ・ジラルダート

ポール・ラル

グラハム・ブライトウェル

イムレ・リーダー
イタリアNo1。第9回世界大会2位(18才、ミラノ大生、1985)。第10回世界大会6位(19才、1986) フランス。第8回世界チャンピオン(16才、高1)。第10,11,15回世界大会2位(18,19,23才)。パリ国際オープン優勝2回。 イギリス。第12,13回の世界大会で連続2位(25,26才、ケンブリッジ大学院数学)。切れ味抜群。現在43才、ケンブリッジ大教授、オセロも現役バリバリ。 イギリス。第7回世界大会2位(19才、ケンブリッジ大数学)。第10回世界3位(22才、ケンブリッジ大学院数学)。1988,90にパリ国際オープン優勝2回。



 ☆この一局でタイトルが決定した重要な熱戦譜18局を一挙掲載

I.オセロ名人戦 第6〜11期(1985〜1990)
 
第6期 石井健一 滝沢雅樹 第7期 石井健一 滝沢信行
第8期 滝沢信行 石井健一 第9期 為則英司 滝沢信行
第10期 為則英司 滝沢雅樹 第11期 為則英司 中島哲也






虎1

第6期オセロ名人戦4番勝負第4局(1985.4.7)
名人石井健一34
挑戦者滝沢雅樹30

石井名人際どく初防衛!
 をh3に打てば引き分けになり、2勝1敗1引き分けで新名人が誕生した筈です。しかし、実戦は1路だけ上のh2(8石損)だったので白アウト!
 2勝2敗合計4石の僅差で石井名人の防衛成功。

バッファロー

第7期名人戦第4局(1986.4.6)
名人石井健一39
挑戦者滝沢信行25

石井名人3連覇(史上ダイ)!
 3月30日に行われた挑戦者選出大会には、滝沢雅樹世界チャンピオン(21才)、金田繁(15)、為則英司(17)、後藤宏(12才、北関東代表、小学生、現全日本チャンピオン)等の一流陣勢ぞろい。その中で勝ち抜いて挑戦者になった滝沢信行(18才)の未来に期待!


第8期名人戦第4局黒31迄の局面(1図)
白番。ここでどう打つ?

ここで、挑戦者滝沢信行が打ったのは、(2図)
(まかふかしぎ)
摩訶不可思議のX打ち!

闘牛

第8期名人戦第4局(1987.4.5)
名人石井健一16
挑戦者滝沢信行48

滝沢信行新名人の誕生!
 3月29日に行われた挑戦者選出大会では、シードの為則英司(世界チャンピオン)や兄の滝沢雅樹(第9代世界チャンピオン)等も直接対決で次々と下して、昨年に続いて連続勝ち上がってきた19才の若き挑戦者のエネルギーには、4連覇を狙う石井名人もたじたじ(1勝2敗石差28)となり、背水の陣で迎えた第4局でした。
 ここで中盤に挑戦者滝沢信行は“摩訶不思議のX打ち”を敢行(2図)!若き数学専攻の大学生信行は、数学でXを解くのとは全く別次元のオセロのX打ちをこの重要な舞台で披露(ひろう)したのです。
 予期しないX打ちを見て、石井名人は首をひねりました。「無謀、玉砕覚悟のX打ち、あるいは勝負手のX打ちか?」一見して、無謀と思われるこの白のX打ちに対して、黒33と直接の猛攻開始(右上☆は黒の余裕手)!そして、ついに黒39で待望の右上☆に先着した時は黒必敗の形勢。実は、こそ、名人位獲得の絶妙なX打ちだったのでした。石井名人の4連覇成らず!

第9期オセロ名人戦4番勝負第4局(1988.4.3)

第10期名人戦4番勝負第4局(1989.4.2)

第11期名人戦4番勝負第3局(1990.4.1)



兔1

名人滝沢信行26
挑戦者為則英司38
(3勝1敗で為則挑戦者勝)

新名人為則時代の幕開け!
 昨年は若きエネルギーを爆発させて先輩名人を倒した滝沢名人は、今年は後輩の若き挑戦者の底知れぬエネルギーに押されました。回転するのも人生か?
 挑戦者選出大会には、石井健一(世界チャンピオン)、滝沢雅樹(23)、村上健(23)岩崎匡明(30)、井上文親(40)等の社会人にまじって後藤宏(14才、中3)もいました。

バッファロー

名人為則英司41
挑戦者滝沢雅樹23
(2勝2引き分けで名人2連覇)

鬼神為則のKOパンチ炸裂!
 挑戦者の滝沢雅樹七段は第9回世界チャンピオンという実力者で2局も引き分けに持ち込んだのは流石ですが、今や高性能エンジン・フル回転の為則三冠王には終に一矢も報いることはできませんでした(もはや誰も勝てない!?)。
 本局もKOパンチ(次にg3が余裕手)が炸裂して、白はしびれました。

兔1

挑戦者中島哲也28
名人為則英司36
(3連勝で名人3連覇)

若武者颯爽(さっそう)と登場!しかし大横綱の牙城(がじょう)は鉄壁だった。
 この5年間、四横綱だけで行われてきた名人戦4番勝負に久しぶりの新人の登場。中島哲也三段、18才、オセロ歴5年でこれまで全日本ベスト16が最高というが、その時トーナメント最初当たったのが為則九段でした(第17回全日本1989.7.30)
 3月25日に行われた挑戦者選出大会には、全国13地区名人13人・石井健一(25・東京)、滝沢雅樹(25・新潟)、能村寿一(30・北海道)、安部正宏(27・九州)、亀本修四段(22・神奈川)等が出場してますが、決勝は石井健一を破った坂口和大五段(22才・東関東)対亀本修を破った中島哲也(北関東)というフレッシュな学生同士の対戦になり、出場13人中最年少の若武者・中島哲也が挑戦権獲得。坂口和大は後の第八世名人であり、中島哲也は後の第十世名人です。時代は確実に移っています。
 大横綱に対する若武者中島の初挑戦は3連敗で終わりましたが、内容は決して悪くない!「実力の違い。挑戦できただけでも信じられないくらいです。」と中島は謙虚に語りました。
 一方、為則名人はその4ヶ月後の全日本オセロ選手権大会も唯1人7連勝で優勝(3連覇)して世界大会日本代表となり、「又、鬼神為則がやってくるのでは駄目だ」と外国選手は皆諦(あきら)め顔になったそうで!現実もその通りになって準決勝3番勝負、決勝3番勝負も全部ストレートで勝って又々世界チャンピオンになりました(3連覇)。

II.全日本オセロ選手権決勝1番勝負(第13〜18回、1985〜1990)

第13回全日本オセロ決勝(1985.7.28)


第14回全日本オセロ決勝(1986.7.27)

第15回全日本オセロ決勝(1987.8.2)


兔1

坂口和大(北陸)時間切れ
滝沢雅樹(東京)中押勝

新世代の台頭・滝沢四段初優勝!
 共に決勝初進出の若者、20才滝沢四段、17才坂口三段。秋にギリシャ・アテネで行われる第9回世界オセロ選手権大会日本代表もかかっている大一番!物凄い緊迫感!
 美学、度胸、早見えの坂口として後に全日本チャンピオン・名人になった坂口も、その時は17才、極度の緊張感とベテラン滝沢の家康流攪乱戦法に惑わされて、研究してきた伝家の宝刀を抜かず(をe6に中割りすべき)、虎穴に入るタイミングも誤りました。
 虎穴に入る時は特にそのタイミングが大切で、がそのチャンス(d8と中割りすべき)!しかし、実戦は(h5)と1手休んだために、(c3)と虎が穴に帰ってきました。そこで(d8)と虎穴に入って行ったのが本局の黒の敗因となりました。
 黒57で針落ちとなりましたが、既に20石差でした。
 初優勝滝沢雅樹は、秋の世界選手権でも初優勝!

闘牛

為則英司(関西)41
片山雄二(神奈川)23

新星・為則初栄冠に輝く!
 時代は確実に変わってきています。世界チャンピオンの滝沢雅樹七段、名人位3連覇中の石井名人も共に準々決勝で姿を消し、決勝初進出は22才(片山)と17才(為則)、ベテランと新鋭、年齢的には昨年と同じ組み合わせとなりました。
 闘牛定石は5手目で早くもボックスを飛び出して行く戦いの定石で、で敢然と闘牛定石を選んだ黒(為則)はそこから猛然と怒涛の寄り身、たちまち土俵際まで追いつめられた白は俵を伝いながら防戦に務めましたが終り寄り切られました。
 高校2年の新チャンピオンの誕生!そして、当然のように、為則は秋の世界選手権で初優勝!

片山雄二(左)と為則英司(優勝)

無差別の部入賞者
1為則英司(17) 5石井健一(21)
2片山雄二(22) 6滝沢雅樹(21)
3谷口良一(19) 7保坂 明(21)
4大和久道夫(31) 8北島正人(22)

牛.山手線外廻り

石井健一(東京)36
村上 健(東京)28

石井七段2度目の優勝
 午後の16人によるトーナメントに出場するには、午前3連勝(16の各リーグ優勝)が条件。世界チャンピオン為則は新人・橋本宏明(23才、東京)に敗れ、片山雄二も滝沢雅樹に敗れて、早くも失格という厳しさ。
 結局、決勝に進出したのは、午後のトーナメントで、坂口和大(19)、滝沢雅樹(22)、後藤昭彦(18)という強豪を打ち負かした石井健一(2度目)と、橋本宏明を大差(50−14)で破り、続いて亀本修(20)、谷田邦彦(20)という若手大物を破った村上健(22、大学4年、初進出)。決勝という大舞台での初対決といっても石井は既にタイトル獲得5回の大ベテラン、村上はまだ無冠だがそれは過去のこと。現時点で日本最強のオセラーは誰かを決めるのが全日本で、村上は、現役の世界チャンピオン・為則を破った橋本に1本勝ち、現役の名人・滝沢信行を破った新人松崎和彦(20才、東関東、初出場)を破った谷田邦彦を準決勝で大熱戦の末にこれを下して(34−30)6連勝、要するに、現役の世界チャンピオン、名人を間接に打ち負かした怪力村上です。
 登り竜・石井が雲を呼んで再び天に舞い上がるか?雲に乗る前の竜を怪力の村上が押さえ込んで念願の初優勝なるか?世紀の対決となりました。というのは、4年前の第11回全日本オセロ選手権準決勝(1983.7.31)で2人は顔が合い、その時は両者とも全くの無冠で石井が勝ち、勢いづいた石井竜は雲を呼んでそれに飛び乗ると全日本、世界、名人を次々と初制覇し、史上初の三冠王に輝いたのでした。今度は決勝1番勝負という大舞台、22才同士の決戦!

(1図)実戦 白番は? 正解1図 正解2図 黒27〜37白


石井健一(左)と村上健の決勝1番勝負

無念・返り打ち!竜は雲に乗って再び天に舞い上がった!

 竜は地上では動きは遅く、1図は地上の竜を捕らえる怪力村上にとって絶好のチャンス!もし、ここで村上が怪力で竜の尻尾をガッチリと掴んでいれば(正解1図)、村上の初の全日本制覇が成ったでしょう(正解2図)。

 しかし、実戦では、1図の局面で白(村上)は肩に力が入りすぎて石につまずいてスッテンドウ、思わず掴んだのは木の根っこ(12石損の大悪手、逆転)。間一髪で竜は雲に乗って舞い上がりました(全日本チャンピオンになった)。その年の第11回世界選手権でも登り竜石井は堂々と2度目の優勝!

 村上はその翌年からも毎年全日本オセロ選手権大会に出場し続けましたが、決勝進出のチャンスは訪れてきません。七転八起といいますが、七回目も八回目の挑戦も駄目で、タイトルとは全く無縁のまま村上も30才になりました。
 19世紀のフランスの文豪アレクサンドル・デュマの傑作「モンテ・クリスト伯(巌窟(がんくつ)王)」は、フランス人のみならず広く世界の人々に愛読されておりますが、百人を越す登場人物のこの大作の中で、主人公のエドモン・ダンテスが最後に2人の若人・マクシミリヤンとバランティースに示した人生の指針となる言葉“待て、而して希望せよ!”は無限に含蓄のある言葉で、何度読み返しても胸を打ちます。
 村上は努力し続け、待って希望しました。そこに1人の幸運の女神が現れました。……。現在、村上健は世界的な名オセラーです(世界選手権優勝3回、第12世名人、九段)。武蔵(たけぞう)(怪力の村上)は武蔵(むさし)(読み・大局観の村上)に大変身したのです。


(第16〜18回)そこ退けそこ退け鬼神・為則が通る!オセロ界の双葉山・連勝街道を驀進!

 飛躍するには変身が必要です。日本の国蝶おおむらさきは、日本で一番美しい蝶といわれていますが、先日のNHKテレビはおおむらさきが幼虫、さなぎを経て美しい蝶に変身する姿を克明に映し出していました。
 双葉山の変身は1936年1月〜5月の4ヶ月間に突如として起こりました。その頃は年2場所で1場所は11日間でした。変身後は3年間不敗で69連勝、現状維持の先輩横綱玉錦に5連敗後4連勝、横綱男女(みな)ノ川には5連敗後11連勝と見事な対照を示しています。

 一流オセラー為則英司が、鬼神に変身して突如姿を現わしたのは、1988年3月のことでした。以後1991年3月迄3年間不敗!全日本選手権本戦で6連勝して決勝まで進出してきた選手は、少なくとも日本2位の実力者の筈で、それが下記決勝1番勝負は3局共為則のワンサイドゲームになっています。それは丁度横綱玉錦や横綱男女ノ川が変身後の関脇双葉山、大関双葉山、横綱双葉山に負け続けた場面を彷彿(ほうふつ)させます。


第16回全日本オセロ決勝(1988.7.31)

第17回全日本オセロ決勝(1989.7.30)

第18回全日本オセロ決勝(1990.7.29)



虎1

四段金田 繁時間切れ
名人為則英司中押勝
新鋭金田善戦すれど力及ばず玉砕!
 黒51を打って時計を押した瞬間針落ち、形勢は22石差。

兔1

七段金田 繁18
名人為則英司46
(がいしゅういっしょく)
鎧袖一触で破る!
 日本で2番目に強い選手に対してこの強さ!2連覇は新記録!

虎1

名人為則英司46
六段滝沢信行18
当然のように本局も勝つ!
 全日本3連覇、通算21連勝。その確率は2,097,152分の1。


III.世界オセロ選手権決勝3番勝負から特選1局(第9〜14回、1985〜1990)

第9回世界オセロ決勝第2局(ギリシャ・アテネ、1985.11.2)

第10回世界オセロ決勝第2局(日本・東京、1986.10.11)

第11回世界オセロ決勝第3局(イタリア・ミラノ、1987.11.14)



虎B

P.ジラルダート(イタリア)5
滝沢雅樹(日本)59
2連勝で滝沢優勝

牛.大量取り

為則英司(日本)36
P.ラル(フランス)28
2連勝で為則優勝

闘牛

P.ラル(フランス)26
石井健一(日本)38
2勝1敗で石井優勝

予選リーグ第1戦



(黒)シェイマン30−34滝沢
(1985.11.1.於アテネ)


D.シェイマン(アメリカ)19才、ペンシルバニア大数学科。第6回世界決勝で谷田邦彦と激闘した名選手。今回は3位。

第9回世界(アテネ、1985.11.1〜2)

 決勝第2局は、1局目を落としたジラルダート(18才)が焦って序盤から悪手を連発(はa4、はa5、はc2に打つべき)したので、滝沢の圧勝。優勝決定の瞬間、会場全体に荘厳に流れた「君が代」の音楽!初優勝した滝沢(20才)の目が潤みます。
 今大会の名勝負は滝沢・シェイマン戦(右図)で、後に3度世界一になるシェイマンの底力をまざまざと感じさせる大熱戦譜です。

 第10回世界(東京.1986.10.10〜11)世界オセロ選手権大会は、オセロのオリンピックで、発祥の地日本で第1回が行われ、以後は各国持ち廻りで開催されています。日本開催は第1、10、20、30、40回…となることが決まっており、今回は日本開催第2回目です。本家日本代表は今回も圧倒的な強さを示しました。
33.gif

 世界超一流オセラーのシェイマン、ラルに対しても、為則は微動だにせずストレートで彼等を破って堂々の優勝。前回世界2位のパオロ・ジラルダート(19才、イタリア)は、ラルとシェイマンと同じBリーグだったためBリーグ3位でトーナメントに出場できず。


 挨拶する佃義範ツクダ社長(右)、左からジム・ベッカー(世界オセロ連盟会長)、筆者、新井伸一(オセロ連盟理事長)

 新世界チャンピオン為則英司を囲んで。左から、村上公昭(理事)、筆者、為則英司、山下和秀(理事)、八十島啓司(理事)


第11回世界(ミラノ、1987.11.12〜14)



団体優勝のアメリカチーム。左よりシェイマン、B.ローズ(22才)、A.クリング(33才)。
 個人戦の他に団体戦(各国代表3名の個人成績合計で計算)も今回から行われ、日本は石井健一、玉家美樹(全日本女子チャンピオン)、八十島啓司(理事)3選手の成績合計で5位。1位アメリカ、2位フランス、3位イギリス、4位イタリア、6位デンマーク、7位スウェーデン、8位スイス


(第12〜14回)世界のひのき舞台に鬼神出現!天才ブライトウェル(イギリス)も、俊英ピオ(フランス)も連敗、連敗、連敗!

第12回世界オセロ決勝第2局(フランス・パリ、1988.11.13)

第13回世界オセロ決勝第2局(ポーランド・ワルシャワ、1989.10.23)

第14回世界オセロ決勝第2局(スウェーデン・ストックホルム、1990.11.5)



牛.山手線外廻り

為則英司(日本)40.5
G.ブライトウェル(イギリス)23.5
為則、2連勝で優勝!

兔1

為則英司(日本)40
G.ブライトウェル(イギリス)24
為則、2連勝で2連覇!

バッファロー

為則英司(日本)47
D.ピオ(フランス)17
為則、2連勝で3連覇!


第12回世界(パリ、1988.11.11〜13)

1図実戦(第2局)は?



鬼神のブラックライン通しのX打ちの連打に、天才ブライトウェル脱帽!

 制限時間のある実戦でこの1図の局面を読み切れる人はいません。読み切れぬまま、偶数理論を思い出して右上X打ちすれば、たちまち負けコース。
「読み3、勘3、度胸4で打つX打ち」といわれていますが、ここで鬼神為則は読み切ったと同じ最善手のX打ちを敢行!続いてブラックライン通しのX打ち第2弾!これで白アウト!
(実戦の続き)
最強最善のX打ち!
1石返し手待ち X打ちの連打!白アウト


第13回世界(ワルシャワ、1989.10.21〜23)

※3位バカット、4位シェイマン。今回は、イギリスNo.2のI.リーダーが結婚のため不出場で、イギリスNo.3のバカットがそのまま世界3位!イギリスチームのレベルの高さ。

※団体戦は昨年に続き優勝イギリス。2デンマーク、3フランス、4日本、5スウェーデン、6アメリカ、7ソ連、8イタリー、9……

世界オセロ界の正横綱同士の再決戦の実現!(鬼神天才)

 勝ち抜き戦方式(挑戦制でない)を採る世界オセロ選手権大会で、同一人同士による連続決勝戦は、起る確率は限りなく0に近いと数学者ブライトウェルは計算。
2図
実戦(第2局) は?
3図
最強最善の為則のX打ち!
 ブライトウェルは、この1年更に技を磨き、夏の第6回パリ国際オープンでも悠々と優勝、今度こそはと万全を期して出場した第13回世界大会でも、無人の境(きょう)を行くが如く勝ち進んで再び決勝進出!しかし、そこに相手としてヌッと現れたのは鬼神為則でした。天才の技は人間には実によく掛りますが、鬼神には全く通じません。決勝3番勝負は又2連敗(公式戦で対為則戦は6戦全敗)。同時期に鬼神がいたために終に世界チャンピオンになれなかった不運!

 2図は、黒がやや打ち易い局面ですが、この段階では局面が広くて、時間があっても読み切ることは不可能ですし、ここで1手誤ればたちまち逆転してしまうのがオセロの恐さです。


ブライトウェル(左)と為則
 「読み3、勘3、度胸4で打つX打ち」は、読み切れぬまま危険の場所Xに打つ対局者の心理をいったものです。度胸満点で虎穴に入ったら(X打ちしたら)、中に虎がいて(大悪手で)、そこで一巻の終りとなった悲劇例も沢山あります。
 為則は、敢然と虎穴に入って行きました(3図)。それは最高のタイミングでした。


第14回世界(ストックホルム、1990.11.3〜5)

決勝第1局
虎2

D.ピオ(フランス)23
為則英司(日本)41

 ベスト4に入ったローズ(丸岡と決勝を争った)、ラル(谷口、為則、石井と決勝を争った)はおなじみの名選手。ピオは新鋭。ブライトウェル、シェイマンは同点6位、I.リーダーは11位。団体戦は、1フランス、2ソ連、3アメリカ、4イギリス…7日本…。ソ連のアレキサンダー・ネルヴィコフが5位であと一歩。

 鬼神タメノリが又日本代表になったという情報はすぐ流れ、「又、今年も駄目だ。」と諦めムードになった外国選手の中で、最近メキメキ力をつけてきた新鋭ピオは「鬼神何するものぞ!」の意気込み。予選リーグでは13〜51で為則に負けたが、2日後の準決勝ではラル(第8代世界チャンピオン)をストレートに破って、終に念願の鬼神為則との決勝3番勝負!
 しかし、決勝第1局(左図、並べて見て下さい)に完敗し、鬼神の強さは骨身こたえたようです。

 決勝第2局も、ピオは闘志満々、とX打ちしてしぶとく頑張りました。をf7に打って徹底抗戦の構えをすれば際どい勝負になったでしょう。

準優勝のD.ピオ(フランス)

日本代表の3選手。左から高崎禎夫(第3回全日本2位)、為則英司(三冠)、石井まさみ(全日本女子チャンピオン)
 実戦(c2)は不可解の大悪手で、この1手でポッキリと折れてしまいました。





(2003.11.1 長谷川五郎 記)




百人の物語 > (第11回)第2黄金期(1983〜1990)とその周辺(その2)

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