百人の物語 > (第12回)20世紀最後の10年間は、群雄割拠の時代となった(1)
オセロ史を飾った百人の名選手の物語 |
|
(第12回) | 20世紀最後の10年間(1991〜2000)は、群雄割拠の時代となった。…その1 |
|
第12回 20世紀最後の10年間(1991〜2000)は、群雄割拠 の時代となった。…その1
1. |
20世紀最後の10年間のオセロチャンピオン一覧 |
西暦 |
名人位決定戦 |
全日本選手権大会 |
世界選手権大会 |
(期)名人
|
敗者 |
(回)チャンピオン
|
2位 |
(回)チャンピオン
|
2位 |
|
1991 |
12 手塚博久 |
為則英司 |
19 金田 繁 |
滝沢信行 |
15 金田 繁 |
P.ラル (フランス) |
92 |
13 手塚博久 |
滝沢雅樹 |
20 坂口和大 |
為則英司 |
16 マーク・タステ (フランス) |
D.シェイマン
(イギリス) |
93 |
14 末国 誠 |
手塚博久 |
21 滝沢信行 |
為則英司 |
17 ディビッド・ シェイマン
|
E.カスパール
(フランス) |
94 |
15 末国 誠 |
中島哲也 |
22 滝沢雅樹 |
駒形真之 |
18 滝沢雅樹 |
K.フェルドボーグ
(デンマーク) |
95 |
16 坂口和大 |
末国 誠 |
23 為則英司 |
坂口和大 |
19 為則英司 |
D.シェイマン
(オランダ) |
96 |
17 滝沢雅樹 |
坂口和大 |
24 村上 健 |
末国 誠 |
20 村上 健 |
S.ニコレ
(フランス) |
97 |
18 中島哲也 |
滝沢雅樹 |
25 末国 誠 |
手塚博久 |
21 末国 誠 |
G.ブライトウェル
(イギリス) |
98 |
19 中島哲也 |
滝沢雅樹 |
26 村上 健 |
中島哲也 |
22 村上 健 |
E.カスパール
(フランス) |
99 |
20 冨永健太 |
中島哲也 |
27 冨永健太 |
滝沢雅樹 |
23 ディビッド・ シェイマン |
中島哲也
(日本) |
2000 |
21 坂口和大 |
北島秀樹 |
28 坂口和大 |
村上 健 |
24 村上 健 |
B.ローズ
(アメリカ) |
☆ 劇的な変化とその原因
「本能寺の変→織田信長から明智光秀へ。天王山の戦→明智光秀から羽柴秀吉へ。関ヶ原の戦→豊臣秀頼から徳川家康へ。」等は明快ですが、現実にはそこに“風が吹けば桶屋が儲かる”式の複雑な因果関係があって、原因とその結果との解明は単純ではないのが一般的です。
A. |
切っ掛けを作った2人の若い大学生・手塚博久、金田繁の登場! |
とに角、上記一覧表のように、オセロ界は1991年から突如として群雄割拠の時代に入り、それは現在(2003.12.1)までずっと続いています。その切っ掛けを作ったのは、2人の若い大学生・手塚博久と金田繁でした。
☆ 1990年秋、京都で行われた関西オセロ選手権大会の席上、第一人者・村上健五段が自戦快勝譜の攻め方を公開、「なる程、オセロとはこんな風に読んで攻めるものなのか!」と一同感心していたら、その場にいた1人の京大生が静かに反論して別の攻め方があるのを指摘してさらさらと並べました。それを見て、今度は皆があっと驚いたのです。読みの入った巧妙な村上の攻め方を95点とすると、その京大生の攻め方は数学の方程式をズバリ解いた様な、実に解りやすい100点の解答だったからです(その局面とそこからの両氏の攻め方はオセロ大観II P98〜100)。その京大生の名は手塚博久。
☆ 年が明けた1991年3月31日、北海道から九州まで全国から16人の地区オセロ名人が東京新宿の囲碁・オセロサロン宇宙(コスモ)に集まりました。4連覇を狙う無敵の為則英司名人に対する挑戦者を決めるためです。
金田繁は全日本少年少女チャンピオン(1985)、全日本無差別2位(1988)。石井健一は三冠経験者。後藤昭彦は全日本少年少女チャンピオン(1984)、全日本無差別3位(1987)。勝ち抜いて準決勝迄進出した他の3人は実績を持つ錚錚(そうそう)たるオセラーですが、優勝したのは、今迄タイトル戦に顔を出したことのない手塚博久三段。1週間後の4月7日に行われる為則名人との名人決定4番勝負を前にしての下馬評は、「昨年同様、名人の3番ストレート勝ちになる。」でした。これに対し、唯1人異を称(とな)えたのは村上健五段で、「今度の名人戦は為則名人にとって最大の危機。若手強豪・後藤、金田も破って挑戦者になった宇宙感覚手塚の怪力は、鬼神も倒すかも知れない。」と予言しました。予言は現実となり、名人決定4番勝負は挑戦者手塚の2勝1引分となり第4局面を待たず手塚博久新名人の誕生となりました。
☆ |
鬼神・為則名人まさかの敗退!宇宙感覚・手塚新名人の誕生!
(第12期オセロ名人位決定4番勝負 1991.4.4.日) |
| |
| |
|
黒 |
挑戦者 |
手塚博久 |
39 |
白 |
名人 |
為則英司 |
25 |
| |
黒 |
九段 |
為則英司 |
20 |
白 |
三段 |
手塚博久 |
44 |
| |
黒 |
挑戦者 |
手塚博久 |
32 |
白 |
名人 |
為則英司 |
32 |
(2勝1引分で手塚三段の勝) |
|
新名人 手塚博久 |
第1,2局は、初めて出会った異質のオセロ・手塚宇宙感覚に戸惑い、翻弄されて、何と為則名人が連敗!考えられないことが現実に起ったのです。しかし、背水の陣となった第3局では、流石鬼神為則のエンジンがフル回転し出しました。一気に3石返したは中割りの天王山打ちの妙手!続いても白壁作りのように見えて、黒から白壁破りを催促した好手でで早くも白は優位に立ちました。
この辺の中盤の打ち廻しの冴えは為則名人独特のものです。と天王山に打ち終盤戦に突入ですが白のリードは明らかです。
併し乍ら、ここから黒(挑戦者)の物凄い追い込みが始まりました。韋駄天(いだてん)のように疾走(しっそう)する白(鬼神・為則)を追って、黒(宇宙感覚・手塚)は筋斗雲(きんとうん:孫悟空が乗った雲)に乗ってぐんぐん差を縮めて行きました。途中経過した4つのX打ち、、、は全部最善手、流石です。韋駄天の終盤といわれ、終盤(オセロでは41手から60手迄を終盤といいます)に入れば、より差を広げるか、一気に抜き去るしかなかった鬼神為則オセロですが、本局では55手迄に何と6石も差を縮められています。ぐんぐんと追ってくる気配を感じて白(為則)は思わず振り返ったとたんにバランスを崩しました。は6石損の悪手(正着はe1)で、白はここで黒に追いつかれてしまいました。
鬼神敗るの報は、全国のオセロファンをあっといわせました。それはすぐ世界にも伝わり、各国のオセラーに夢と希望を与えました。「ひょっとすると、俺も世界チャンピオンになれるかも知れない。」とタステ(フランス)、シェイマン(アメリカ)、ブライトウェル(イギリス)、カスパール(フランス)達は思うようになりました。
☆ |
“敗軍の将、兵を語らず” 角聖・双葉山、鬼神為則の裏話 |
昭和14年(1939)1月15日午後6時20分、3年間不敗、百連勝を目指して連勝街道を驀進(ばくしん)中の大横綱双葉山が、初顔の前頭3枚目安芸ノ海(のち横綱)の“世紀の外掛け”に倒れた瞬間、満員の両国国技館は興奮する観衆のるつぼと化しました。怒号狂乱で全員総立ち!座布団、茶碗(危険だ!)、煙草盆が飛ぶ!土俵近くは灰神楽(かぐら)。立見席からは人波に押されて人が階下に転落する騒ぎ。翌日の新聞は、結果のみを重視した記事一色で、“世紀の話題一瞬に消ゆ”、“「打倒双葉」の出羽海部屋の秘策実る!”、“打倒双葉の宿願を達成した安芸ノ海は入院中の親方に喜びの報告(握手の写真)”、“安芸ノ海の快勝でバンザイをする故郷の一家(ラジオを前に母堂を囲んでバンザイの写真)”等々…。双葉山の真の敗因については一切書かれず、本人も語らず。確かに安芸ノ海はその数年後には横綱迄駆け上った名力士ですが、それ以後双葉山と9回対戦して全敗。生涯対双葉山戦は1勝9敗でした。実は、あの時の双葉山は病み上がりだったのです。前年の皇軍慰問の大陸巡業でアメーバ赤痢になり体重も20キロ減って、ひそかに大阪で療養していたのです。8ヶ月ぶりの本場所(当時は1月,5月の年2場所)、複雑な事情もあって休場できず、出場したからには負けても一切語らず、弁明せずが本人の信念だったようです。“心技体”といいますが、体が完全でなく、技を磨く(稽古する)時間もない時は双葉山といえども勝ち続けることはできません。結局その場所は9勝4敗でした。
オセロにはプロはいません。全日本オセロ選手権大会、世界オセロ選手権大会に出場するオセラーは、皆本業を持っています。最も多く自由時間を持てるのは学生時代です。為則英司が自他共に許す“鬼神”だったのは学生時代であり、社会人になってからは“One of the strongest”になりました。群雄割拠時代の始まりです。
実は、あの時(第12期オセロ名人戦1991.4.7)の直前に米国のロサンゼルスから1ヶ月の留学を終えて帰国したばかりの為則名人は、時差を直す間もなく体調不充分の上、1ヶ月以上も全くオセロから離れていたこともあり、オセロ勘が戻らず、読みも空転するうちに時間にも追われてしまったのでした。現在、為則九段はバリバリの社会人で2人の坊やの父、勿論オセロは最強オセラーの1人です。
B. |
公約実現!金田繁、全日本初優勝!続いて世界も制覇! |
1990年秋、東大文化祭のオセロの件で、同法学部2年の金田繁五段よりtelあり(筆者不在)、折り返しtelした所今度は本人不在でお母さんが出て、用件OKと伝えて下さいと頼んだ後、雑談になりました。「…息子はオセロにのめり込んでしまって…」と語ったお母さんの言葉には無限の余韻がありました。『中学3年の時全日本少年少女オセロチャンピオン(高校受験を控えて)、高校3年の時全日本無差別2位(オセロ日本一を目指した3年間の努力は実らず、鬼神為則と決勝で当って玉砕!)。東大は現役で合格。1年の時も2年の時もオセロチャンピオンを目指して頑張ったが4度共途中で敗退。その間(かん)、名人挑戦者になった選手、全日本選手権無差別決勝迄勝ち上った選手は4人共皆、鬼神為則と戦って玉砕!オセロチャンピオンになろうというかなわぬ夢を追って努力を続けても結果を出せないだろうし、折角東大法学部に入っているのだから司法試験を受けて合格して立派な社会人になって巣立ってほしい。』とお母さんは思ったのかも知れません。「ここ迄来たからには、1度でいいから全日本チャンピオンにさせてあげたい。」で両者の意見は完全に一致したのでした。…。
☆ |
公約実現!金田繁五段、第19回全日本オセロ選手権で初優勝!(1991.8.4.日) |
1991.3.31、第12期名人挑戦者選出大会で、金田繁は準決勝で昇り竜・石井健一八段という大物を下して決勝に初進出しましたが、そこで初手合の関西代表手塚博久三段に惜負。無念の涙を飲みました。その1週間後の1991.4.7、挑戦者・手塚博久は、4連覇を狙う無敵名人為則英司九段との4番勝負を、2勝1引分のワンサイドゲームで勝って、オセロ界に手塚旋風を巻き起こしたのでした。
これを見て、金田繁は静かに宣言しました。「夏の全日本選手権は僕が優勝してみせます!」普段そのようなことを絶対に口にしたことのない男の穏やかなキッパリとした口調の公約は印象的でした。……。
1991.8.4、第19回全日本オセロ選手権大会がやってきました。無差別の部は枠64人、各地区予選を通過した代表62人とシード2人(全日本チャンピオン為則英司と名人手塚博久)で、その64人が4人ずつA〜Pの16組に分かれて各組総当たりを行い、各組の優勝者16人がトーナメント1本勝負を行ってチャンピオンを決める方式。午後トーナメント1本勝負では、復活した鬼神為則と宇宙感覚・名人手塚のリターンマッチ1本勝負が見られるぞと皆楽しみにしていました。
(注 大相撲では、大横綱双葉山は復活し、4ヶ月後の昭和14年5月場所では、安芸ノ海も破って15戦全勝優勝。)
しかし、前日理事会で配られた翌日の組合せ表を見て“おや”と思いました。B組は、佐藤伸二(神奈川)、金田繁(東京)、手塚博久(シード)、吉田邦彦(香川)となっています。午後のトーナメントに出場できるのは1人です。
当日の午後各組優勝者16人の組合せ抽選が行われた時、そこには名人・手塚博久の名はありませんでした。16人は8人になり、4人になりました。
リーグで大敵手塚博久名人を破って3月31日の仇を取ってから順調に勝ち進んで行った金田でしたが、全日本選手権で21連勝の鬼神為則が22、23、24、25、26とどんどん連勝記録を伸して行くのを見て、金田は決勝での為則との直接対決を覚悟しました。と思っていたら、その直前の準決勝で事件勃発!鬼神・為則が、滝沢信行の信長流の強烈な攻めに会って大苦戦。大接戦の末終に2石負け。全日本選手権大会での連勝記録は26でストップと同時にここで敗退!
結局、決勝は金田繁対滝沢信行、双方共に初優勝を賭けての1番勝負!金田は3年前、滝沢は前年決勝に進出してますが、その時はいずれも鬼神為則に一蹴されています。滝沢は、先程、全力を尽してその鬼神為則に競り勝ちました。滝沢にとって、金田は組しやすい相手で、前年も、前々年もこの全日本で金田に勝ってます。鬼神を破ってホッとしたのと、金田に対する何処か安易な気持ちがエア・ポケットとなって、滝沢は中盤で大悪手(黒31)を打ち、自ら転んでしまいました。
☆ |
第19回全日本オセロ選手権大会・無差別の部準決勝・決勝(1991.8.4.日) |
| |
| |
|
黒 |
四段 |
石崎 光 |
16 |
白 |
五段 |
金田 繁 |
48 |
| |
黒 |
五段 |
滝沢信行 |
33 |
白 |
九段 |
為則英司 |
31 |
| |
|
1図(実戦、決勝)は?
| |
2図(実戦)痛恨の敗着!
| |
3図(実戦)と打って白好調
|
| |
| |
|
1図は形勢互角の中盤戦。実戦は深く読まず、何となく形だけで打ったのですが、これが大悪手。が好手で、手を渡されて黒は困りました。黒は、、、と白に左辺3手打ち(手得)を許したことになり、大勢に遅れを取りました。(ア)は証文の出し遅れ(既にと打たれてしまった後である)!
1図からは、正解のが絶対の1手で、白Cを巧みに消しているのに注目!以下、白B、黒C1が想定され、黒の不利は考えられません。
(アメリカ・ニューヨーク 1991.11.8〜10)
予選は30分ずつの持時間(全日本は20分)、1位シェイマン13戦全勝、2位金田11勝2敗(シェイマンとローズに負け)。1位と4位、2位と3位が当る規定(準決勝からは40分ずつで3番勝負)。シェイマン、ラル、ローズはいずれも世界チャンピオンになった名選手。対金田戦を1局ずつ特選譜としました。
※個人成績は、5位D.ピオ(フランス、昨年決勝で為則と戦った)、6位G.ブライトウェル(イギリス、一昨年為則と決勝を戦った)……23位安井次男(マスターチャンピオン)……27位大柳真咲四段(全日本女子2位)……。
団体戦は各国代表3人の個人成績の合計で判定されます。1位アメリカ、2位フランス、3位ソ連……でした。
1図(決勝第2局)は?
| |
2図、金田が打ったX打ち!
|
|
左より、金田繁、大柳真咲、安井次男の日本代表3選手
|
|
|
|
“実戦派の闘将”といわれている金田選手は、微妙な形勢でとても読み切れない1図のような局面で特に強さを発揮します。ズバリX打ち(2図)!これで行けるという判断です。このX打ちで金田繁は第15代世界オセロチャンピオンになったのです。
注 その後、金田氏は在学中に司法試験に合格。弁護士として活躍中で、ワシントン在。1女のお父さん。
3. |
1991年から現在迄の世界オセロチャンピオンの横顔
(来年・2004から毎月本欄で順次紹介して行く予定) |
金田 繁
|
| | |
マーク タステ Marc Tastet
|
| | |
ディビッド シェイマン David Shaman
|
| | |
滝沢雅樹
|
第15代世界チャンピオン
(1991.11〜1992.11)
弁護士、1970生、七段、全日本少年少女、無差別優勝、東大法卒
|
| | |
第16代世界チャンピオン
(1992.11〜1993.11)
フランス、数学教師、1965生、フランス4強の1人(2003現在)
|
| | |
第17,23,26代世界チャンピオン。決勝進出6回は新記録。
アメリカ、弁護士、1967生
|
| | |
第9,18代世界チャンピオン。小学校教諭、1964生、八段、第九世名人、全日本無差別優勝2回。1女の父。
|
|
為則 英司
|
| | |
村上 健
|
| | |
末国 誠
|
| | |
ブライアン ローズ Brian Rose
|
第10,12,13,14,19代世界チャンピオン。
京セラ勤務、1968生、九段、第五世名人、全日本無差別5回、世界5回優勝はどちらも新記録。2男の父。
|
| | |
第20,22,24代世界チャンピオン。
麻布学園英語教諭、同オセロ部顧問、1964生、慶大卒。九段、第十二世名人。1男1女の父。
|
| | |
第21代世界チャンピオン
(1997.11〜1998.11)
グランドスラム(全日本少年少女、全日本無差別、名人、世界優勝)を果した唯一の選手。会社員、1977生、慶大卒八段、現名人。
|
| | |
第25代世界チャンピオン
(2001.11〜2002.11)
1981年17才で全米を制し世界2位(丸岡に惜負)。2000.11世界2位(村上に敗る)。常に世界のトップ集団を走る。洋子夫人(五段)との間に2女1男の父。
|
|
|
第27代世界チャンピオン
(2003.11〜 )
学生、20才。
オセロ歴4年だが、毎日10時間という驚異的研究をし続けているモンスター。昨年は決勝でシェイマンに1対2で敗れたが、今年は決勝で末国を2対0で破って初優勝。 | |
オリンピックは、各国持ち廻りで4年に1回行われている競技会です。発祥の地は、ギリシャのアテネで、競技も多種にわたります。陸上競走では、100、200、400、…10,000メートル、マラソン、障害物競争…等ありますが、100メートル競争優勝者が世界最速の男(女)です。マラソンも最高に人気のある種目ですし、障害物競争も非常に奥深い内容を秘めたスリルのある競技です。
各国持ち廻りで毎年開催されているオセロの世界選手権大会は、オセロのオリンピックということができます。オセロ発祥の地日本で第1回世界オセロ選手権大会が行われ、今年は第27回世界オセロ選手権大会がスウェーデンのストックホルムで盛大に開催されました。
21世紀になってから、2つのオセロが日本で育ってきました。
(1)88(エイティーエイト)オセロ(オセロが100メートル競争なら、こちらは400メートル障害物競走)
(2)グランドオセロ(こちらはマラソンです。)
連盟主催第4期88オセロ名人戦(2003.9.21)、第2期グランドオセロ名人戦(2003.10.5)が最近行われましたので、それをここで紹介します。これをこれからじっくり2年かけて育てていって、各国のオセロ連盟にもP.R.して(既にヨーロッパでもグランドオセロ大会が行われている!)、2006年の第30回世界オセロ選手権大会(日本で開催)のときには、初代88オセロ世界チャンピオン、初代グランドオセロ世界チャンピオン、それに加えて、初代世界女子オセロチャンピオンを誕生させようという構想です。
1. |
第4期88オセロ名人戦(2003.9.21.日本オセロ連盟主催) |
|
|
|
黒 | 88オセロ名人 | 冨永健太 | 53 |
白 | 88オセロ前名人 | 北島秀樹 | 35 |
|
(2003.9.21.日.於パルボックス) |
88オセロは、隅(☆)が8つもある88区画の大型オセロです。何しろX打ちが16個(オセロではX打ちは4個)もある上に、短い辺が8つもあるので、中盤の攻防は独特の変化に富んでいます。「複雑ですねー。」というのが参加者の一様の声。
88オセロ名人戦は勝ち抜き戦方式を採用。第1,2期は優勝北島秀樹、第3,4期優勝は冨永健太。両氏共オセロ七段、オセロ名人(第十三世と第十一世)で、読みは筋金入りです。
黒29は、88オセロ独特の面白いB打ちで、オセロ盤を円く使っています。白36、黒41はタイミングのよいB打ち手待ちで、中盤でB打ちをどう打つかは大切な要素です。
黒43、白44、黒45、白46と矢継ぎ早やのX打の勝負手!何しろX打ちは16個もあるので中盤の攻防は見ものです。
2. |
第2期グランドオセロ名人戦(2003.10.5.日.日本オセロ連盟主催) |
第1期は、昨年北島秀樹(オセロ名人)対冨永健太(88オセロ名人)という2種のオセロの現名人間で行われ、冨永健太初代グランドオセロ名人が誕生しました。
オセロチャンピオン=グランドオセロチャンピオンとはならない様で、今回もオセロの現役名人末国誠八段は対冨永健太戦44−56、対佐々木惣平戦37−63で敗れています。
新グランドオセロ名人佐々木惣平氏はこの百人物語第9回で紹介ずみの“3秒の勝負師”として知られ、とことん読むが時間の配分も決して忘れない冷静さも持ち、絶対に時間切れ負けをしたことがない(少くとも3秒は残っている!)異色のオセラー。
グランドオセロの中盤は物凄く広大、複雑難解で、ここではその人特有の勘も重要な要素です。黒49(g9)は好手、気持ちよい斜め中割り。黒61(b9)は心すべきX打ち!
白70(b10)は、偶数理論からここは打たずに保留して白h3と打ったらどうか?この辺は極めて難解。とに角、白70と打ったため、黒71(h5)が好手(c10が黒の余裕手!)で黒やや打ち易くなったようです。
グランドオセロ名人決定! 佐々木新名人と冨永前名人
残り時間 | 佐々木 | 14 | 秒 |
| 冨永 | 1 | 秒 |
(2003.10.5) |
|
|
佐々木(左)対末国 思わず立ち上がって広い盤面を見詰める末国オセロ名人の真剣な表情! |
|
堀内恵子対佐野洋子 ご両人共全日本オセロ女子チャンピオン経験者。 堀内さん(左)が女子1位となりました。
| |
88オセロの決勝戦 北島(左)、冨永健太 冨永名人の連覇! (2003.9.21)
|
(2003.10.29〜11.1 於スウェーデン、ストックホルム) ☆世界オセロ連盟、スウェーデンオセロ連盟共催
アメリカのベン・シーリー選手(20才・学生)が日本の末國誠名人(26才、会社員)を決勝3番勝負2対0で下して初優勝。
団体戦は日本が優勝(2回目)。3人の代表選手(末國誠名人、後藤宏全日本チャンピオン、山中真美女流名人)の成績の合計で決ります。
決勝3番勝負(末國名人の自戦記)、団体戦の優勝等(後藤七段、山中五段の筆による)は、オセロニュース80号(第27回世界オセロ選手権大会特集号)をご覧頂くとして、ここでは第三者的立場から見た結果とその原因についての一考察を書いてみます。
☆上記結果となったその原因は何処にあったのか?
1990年で一巨頭(鬼神為則)時代は終り、群雄割拠時代に入った1991年からは全日本選手権でも世界選手権でも連覇は1回もなく、毎回チャンピオンの顔は変ります。実力伯仲の一流選手の中で、巧みに追い風に乗った選手がチャンピオンになっています。
上記表の結果を招いた最大の原因は、予選リーグ12回戦末國誠〜カスパール戦にあったと考えます。そこで末國名人が打った1手がオセロの歴史を変えたのでした(1図)
1図は末國、カスパール戦の終盤で末國(黒)の手番。持時間は双方30分(全日本や名人戦では20分)もあり、末國程の名手ならここで少し考えれば、正解を発見するのはさほど難事でなかった筈。
【1図】 末國・カスパール戦 | は? |
| | | |
|
| |
| |
|
| |
カスパール(左)と末國 |
|
黒 | 末國 誠 | 29 |
白
| カスパール E.Caspard (フランス)
| 35
|
|
もし、1図で末國が少し考えて正解を打っていたら、予選順位はガラリと変わって、翌日の準決勝3番勝負(今度持時間40分ずつ)となり、こうなれば日本代表2人の闘志はいやが上にも燃え上がり、日本代表同士の初の決勝3番勝負もあり得たでしょう。
1位 |
11勝 |
末國 |
} |
4位 |
9.5勝 |
Hoehne |
2位 |
10勝 |
後藤 |
} |
3位 |
9.5勝 |
Seely |
|
実力的には、末國、後藤の方がSeelyやCaspardより上でしょうし、現実の予選リーグでも、後藤はSeely、Caspardを破り、末國もSeelyに勝っています。
併し乍ら、現実の世界では、末國名人は1図から14石損の敗着を打ちこの1手で流れが変わりました。日本人同士の長い持時間(全日本の倍)を使っての潰し合いの準決勝3番勝負(これが決勝3番勝負なら全く話は別)!?それが、人間末國の闘志に微妙な変化を与えたことは否定できず、それが決勝第1局に影響したと考えます。
☆ 団体戦優勝おめでとう!
チームとしては最高の喜びです。山中女流名人の顔は、初めて世界の舞台で貰った
カップを手に、輝いています。 「留守番している坊やに真っ先にこのカップをあげましょう!世界チャンピオンのシェイマンにも勝ったし、最高の幸せ」
団体戦優勝の日本チーム。左から、末國、後藤、山中の3選手。 11.1. |
|
シーリー 対 後藤 予選12回 10.31. |
|
山中 対 シェイマン 予選4回 10.30. |
| |
| |
|
| |
| |
|
世界チャンピオンのカップを手に、Ben Seely選手 (アメリカ.2003.11.1) |
|
黒 |
後藤 宏 |
38 |
白 |
Ben Seely |
26 |
(2003.10.31) |
|
|
黒 |
山中真美 |
34 |
白 |
David Shaman |
30 |
(2003.10.30) |
|
4. |
ギネスに挑戦!ジャンボオセロ大会(2003.11.3) |
日本経済新聞朝刊(2003.11.4)の記事の引用『千葉県流山市で三日“市民まつりオセロ大会”が開かれ、小学生ら約60人が手作りの巨大なオセロ盤と駒で熱戦を繰り広げた=写真。市は世界最大のオセロとしてギネスブックに申請する。…。……。』
ながれやま朝日新聞も「巨大オセロでギネスに挑戦」の見出しで写真入りで大きく報じています。
9年前から流山でオセロ大会を開催している流山市青少年相談連絡協議会(菅波和宏会長)からは、当時小学生だった駒野達也君(現筑波大1年)が第30代全日本オセロチャンピオンとして輩出した実績も持ちます。
『飛び入り参加した井崎義治市長は、「将棋といえば(山形県)天童市、オセロといえば流山市といわれるようにしたい」と語った。』(日経朝刊2003.11.4より)。
(2003.12.1 長谷川五郎 記)
|