大学時代は、囲碁、将棋、チェスの実戦を楽しみながら、8×8路、10×10路、6×6路、八角形の盤も使ってオセロゲームを徹底的に研究、充分な手応えを感じていました。
日本棋院水戸支部の会報にチェスのエピソードをかいたこともあります。チェスの面白さは、まずその道具の美しさで、立体の駒を手に持ってコトッと動かしただけで壮快な気分になります。ナポレオンはチェスを指す時、初手は馬(Knight)の駒を持ってコトッと進め、2番手も馬、3番手も馬の駒を進めたので、このような打ち方はナポレオンの進軍と言われています。
私は牛乳びんのふた3枚を張り合わせて、持ちやすく返しやすい自家製のオセロの駒を作りました。これはかつて友人M君が作った芸術作品的大型の駒(直径3.5センチ)と同じ大きさです。大型の駒、良い内容(誰でも1分で覚えられ、一見単純のようだが内容は複雑で奥行きが深い)の自家製オセロがここに誕生しました。
私は大学を卒業して大手製薬会社に入社。社内の囲碁大会や将棋大会に優勝しましたが、どちらを向いても囲碁や将棋をやれる女子社員は1人もいません。或る日の昼休みに同じ課の2人の女子社員に自家製オセロを示したところ、「ワッ面白い!」とたちまち夢中、以後その1台は昼休みの女子社員達のアイドルになりました。
得意先の病院関係者に折にふれ自家製のオセロを紹介すると、反響は絶大。行く先々でゲームの面白さは証明されて行きました。
機は熟したり!私は玩具メーカーのツクダに電話しました。そこで初めて会ったのが、30代の和久井企画部長、そして50代の佃社長です。1972年のこの出会いが、日本及び世界へオセロゲームが羽ばたくきっかけとなりました。ゲームは売れないという業界の常識をくつがえす実績を内蔵するこのゲームをよく理解してくれて、私の希望通りの本式のオセロ用具を作成してくれました。その本式のオセロ用具を使ってファン待望の第1回全日本オセロ選手権大会を行い、反響の余韻が残っている20日以内に正式に発売することになりました。

~第1回全日本オセロ選手権大会の開催~
1945年9月に生れたオセロゲームの原形は、27年7か月の助走期間を経て開花。1973年4月7日(土)、日本オセロ連盟主催の第1回全日本オセロ選手権大会が帝国ホテルで多くの選手及び関係者によって盛大に行われました。
読売新聞、デイリースポーツを含む多くのメディアや当日会場を訪れた人々がまず見た物は、目の覚めるような美しい本式のオセロの用具でした。緑のビロードの盤、白黒が表裏で張り合わせてある直径3.5センチの大型の石、緑の盤の上に白と黒のコントラストが美しく、人々が石をもってコトッ、コトッと打つ音や「アラジンの魔法のランプの世界」のように局面がガラリと変わるオセロで会場は楽しい雰囲気になり、評判は上々でした。来場者はまず同時開催された男子の部決勝、女子の部決勝のそれぞれ2番勝負を見学して、次に各自が自由対局後、立食パーティーで歓談、参加者全員が土産に本式のオセロを貰って楽しく帰宅。
そして予定通り本式のオセロの用具は4月25日に発売になりましたが、実はそれからが大変でした!!

優勝者第1回全日本    第1回全日本フリー対局風景
オセロ初代全日本チャンピオン        決勝後の自由対局の様子
篠崎幸子五段  辻嘉一郎五段
(当時 22歳) (当時 28歳)

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長谷川五郎プロフィール
1932年 水戸市生まれ。オセロの考案者。
現日本オセロ連盟会長。囲碁・将棋五段、チェスも得意。
2015年3月より第40回世界大会(2016年)に向け
「オセロを創った男~五郎のオセロちょっといい話」の寄稿を開始。