オセロ誕生秘話(3)
~オセロファンのエネルギーがオセロのビッグバンを作った!!~
玩具売場は、毎年新商品が目白押しに並ぶ競争の激しい世界です。新発売のオセロは値段(2,200円)も大きさも子供玩具売場向きの商品とはいえず、並べてくれるか疑問でした。当時は凄いパンダブームなので、黒と白石を使うこのゲームを小型化してランランカンカンという名にすれば、子供達にも人気が出て売れるだろうという意見も有力でした。
オセロゲームの名は、シェークスピアの劇「オセロ」にちなんで、父の英文学者・長谷川四郎教授が名づけたものです。「白人の妻(白石)を持つ黒人の将軍オセロ(黒石)が、緑の平原(緑の盤)で戦う波乱万丈の物語」ですが、それはオセロゲームそのものでしょう。
本式の石と盤を使って打つ「オセロ」は、人々を魅了する魔力があります。今回はその魔力に賭けてみようということになりました。

~1973年4月25日、オセロゲーム新発売!!~
何事も最初が肝心です。東京発のニュースはすぐに全国を駆けめぐるといわれています。三越本店と伊勢丹本店の玩具売場の一部を借りて、アルバイトの女子大生による本式のオセロ盤と石を使用した実演販売がこの日から始まりました。
三越会場では1日で57台のオセロ盤が売れました。オセロ旋風は日毎に勢いを増して行きます。実演販売は益々好調で、期間は延長され、ファンの要望で第1回全日本チャンピオン辻嘉一郎五段と篠崎幸子五段(前話で登場)も実演に登場、若い女性が大の男相手に次々と圧勝して行くイベント会場は黒山の人だかり…。
そんな中、発足当時のオセロ連盟の電話番号は私の自宅の番号でした。読売新聞にオセロの記事が載った4月29日の午前8時に自宅のベルが鳴りました。「オセロは何処で売っていますか?」私は丁寧に答えて受話器を置くとすぐ次のベル、又次のベルと間断なく何時間も続くベルの音・・・11時過ぎに“ピンポーン”。ドアを開けると子供連れの若い奥さん「読売新聞を見ました。何度電話しても話し中で通じません。調べたら同じ団地内なので直接お伺いしました。オセロを1台売って頂けますか?」
間断なく続いたベルの音も午後4時になると止みました。潜在するファンのエネルギーを肌で感じた8時間でした。しばらくすると又ベルの音。「オヤ、通じるんですね。電電公社の者ですが、何度かけても通じないという多数の問合せが来ているんですが、なる程そういう訳だったんですね。」
その頃から全国の売場から注文もどんどん出始めました。そしてその年の12月迄にオセロは100万台を売り上げ、ファンの数は1000万人を越えました。総てはファンのエネルギーによるビッグバンでした。お陰でオセロゲームは順風満帆で出発することになりました。ファンの皆様のご支援を本当にありがたいと思っています。

三越本店 多面打ち    新聞(デイリー、読売)
三越本店での実演販売、椅子が      昭和48年当時掲載されたオセロの記事
全部ふさがっていて、製品をずらし      デイリースポーツと読売新聞より
立って対局するお客様も・・・

                goro_signature         
 

長谷川五郎プロフィール
1932年 水戸市生まれ。オセロの考案者。           
現日本オセロ連盟会長。囲碁・将棋五段、チェスも得意。
2015年3月より第40回世界大会(2016年)に向け
「オセロを創った男~五郎のオセロちょっといい話」の寄稿を開始。