~ 山田史生(ふみお)氏 ~ オセロのビッグバンを起した男
◆出会いからビッグバンへ
第1回全日本オセロ選手権大会(於:帝国ホテル 1973.4.7)に取材のために来られたのが、山田氏でした。おだやかな紳士タイプの山田氏は、取材も熱心でオセロの要領を掴み、自由対局では2人の男女の小学生(10才と7才)相手に真剣勝負を挑んで大敗しました。
当時の山田氏は、読売新聞文化部の将棋担当の記者で、将棋・囲碁の有段者であり、チェスにも詳しかった。
心(しん)の強い山田氏が大敗を喫した後、オセロ発売後の4月29日(日曜日)読売新聞の朝刊に軽妙な文で載せた記事がビッグバンのきっかけになりました。
「オセロという新しいゲームが登場!相手は覚えて間がないという小学二年生の女の子。『まさか負けることはあるまい』と思ったが、よそ見をしながら打つ女の子に終始ほんろうされ、“大敗”してしまった…」
この新聞記事が載った日、我が家(日本オセロ連盟)の電話は間断なく8時間以上も鳴り続けました(連載第4回参照)。

◆思い出
無論、山田氏との話題の中心はオセロでした。
山田氏は、「囲碁・将棋と違い、オセロはどのくらい勝ったかも重要」「自分も世界チャンピオンと対局したい」などと多く語り合いました。
第3回世界オセロ選手権大会(於ローマ・1979年)の時、山田氏と同行しました。

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ローマの町を一緒に散策

私の立合いで、優勝して栄冠を勝ち取った世界チャンピオンと山田氏の夢の1局が実現しました。
世界チャンピオン・井上博氏対山田氏のオセロ真剣一番勝負は、結果63対1で山田氏の完敗だったが、「これは最高の土産になりした。」とその時の棋譜(写真)を持って帰国。
その後、山田史生記者の第3回世界オセロ選手権同行記は、「日本から世界チャンピオン・井上氏 誕生」と共に読売新聞に大きく掲載されました。
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山田氏にとって忘れられない一局に・・・

◆その後
文化部次長を最後として停年退職後も社友の将棋観戦記者として活躍。
近年は、上野の喫茶店や帝国ホテルで会う事がありました。
その時は、元気いっぱいに今後のオセロ・ミラクルⅤの事や、囲碁・将棋の事も楽しく話しました。
体の不調から年賀状のあいさつだけとなった翌年の夏、ついに逝去。享年75才。
40年間の長いおつきあい本当にありがとうございました。
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2007年6月14日ミラクルⅤ発表会にて

◆思い
三段跳びは、ホップ、ステップがあってジャンプで完成します。
オセロではホップ(全日本選手権)、ステップ(発売)があって、タイミングを見計らって山田史生氏の書いた記事がジャンプ(ビッグバン)となりました。
オセロのビッグバンを起した男・山田史生氏は、オセロ史に最初の一ページを刻んだ思いで深い人でした。

                             サイン   

長谷川五郎プロフィール
1932年 水戸市生まれ。オセロの考案者。
現日本オセロ連盟会長。囲碁・将棋五段、チェスも得意。
2015年3月より第40回世界大会(2016年)に向け
「オセロを創った男~五郎のオセロちょっといい話」の寄稿を開始。