家族(1)~両親の思い出とエピソード~
私の父…長谷川四郎
「少年よ、大志を抱け!」で有名なクラーク博士に師事し、その30年後旧制一高(現:東京大学)の校長兼英文学教授だった新渡戸稲造先生(旧5千円札の人物)に学んだのが英文科の学生であった我が父、長谷川四郎でした。芥川龍之介、菊池寛などの歴史的な文学者を同級生に持つ父が大正10年新設の旧制水戸高等学校の教授に推薦された事から、水戸での歴史が始まります。
5千円 旧5千円札 新渡戸(にとべ) 稲造(いなぞう)博士

私の母…長谷川初子
海軍省法務局の父(山田三郎:私のおじいちゃん)と大商人の娘だった母(うめの梅乃:私のおばあちゃん)の間に生まれたのが我が母、初子でした。赤ん坊の初子が泣くと、父:三郎は、勤めから帰ってまだ靴も脱がないのにそのまま家に上がって初子をあやしたそうです。そんな人間味ある両親の下、何の苦労もなく母:初子は育ちました。

初子
明治39年当時の家族写真 山田三郎、うめの、初子(母)

夫婦円満…いつまでも
私 五郎は、父:四郎、母:初子、長谷川家の三男として、生まれました。
子煩悩だった父が長女を授かった時に詠った短歌があります。
⇒いかならん 事にも耐えて この子をと誓いてもみし 父となりし日(四郎)
両親は計画を立てて、毎年必ず春と秋に旅行をしました。そして旅先で必ず写真を撮りました。夫婦仲を詠んだ俳句があります。
⇒初ゆかた 古妻ながら さりながら(四郎)
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旅先での仲睦まじいお二人
  
発売前の試作オセロを両親に届けると、ゲームなど全く興味のなかった母:初子はオセロを父と一緒に打ち始め、夫婦で五分五分の勝負を繰り返す腕前となりました。
子供たち孫たちが全員出席して両親の金婚式を祝った時、四男の奏でたバイオリン曲「金婚式」の演奏が素晴らしく、全員が花束を贈り、祝辞を述べ、歌を歌って祝いました。
終始笑顔だった両親を覚えています。
金婚式
金婚式の記念写真
 
父との別れ…生きた証
父:四郎は91歳で永眠するまで、子供達、孫達、優秀な教え子達にいつも囲まれていました。本当に幸福な生涯だったと思います。葬儀には多くの人々が訪れました。
水戸の名物でもある東原町 水戸一中の校庭内にある水高記念碑(1979年除幕式))と、若人が夢と希望を託して突いた95年の伝統ある暁鐘楼(ぎょうしょうろう:現在は偕楽園に移設)。石碑も暁鐘楼もそこの銅板に書かれている文と字は長谷川四郎教授のものです。第30回世界オセロ選手権大会(2006年水戸開催)の時、日本代表の男女6選手は1人ずつ2階に上って荘厳な暁鐘の音を偕楽園の中に響かせたのでした。
石碑 6人
第30回世界オセロ選手権大会でも日本勢は良い結果を残すことが出来ました。

クラーク博士の教え
クラーク博士のこの精神はオセロの大会に取り入れられ、1973年の第1回全日本オセロ選手権大会は男子、女子それに小学生を加えた3部門で開催され、今も連綿として続いています。

サイン

長谷川五郎プロフィール
1932年 水戸市生まれ。オセロの考案者。           
現日本オセロ連盟会長。囲碁・将棋五段、チェスも得意。
2015年3月より第40回世界大会(2016年)に向け
「オセロを創った男~五郎のオセロちょっといい話」の寄稿を開始。