思い出に残る闘い(3)
~オセロはいつも真剣勝負・思い出深い人々~
オセロは勝敗の他に獲得石数も評価されます。勝負の成績表のようなものです。
どんな人でも1勝負だけとかなら、チャンピオンや名人達と対等の条件で戦う機会を持てたりします。この場合は終局の時、どれくらいの成績・評価なのかがチャレンジャーの興味の焦点となります。(写真:評価表)
私のオセロ人生の中で、これまで様々なチャレンジを見てきました。
☆1975年、無敵少年 対 笠原孝一(全日本チャンピオン)
岡山で無敵を誇る中学生(当時中3)が、夢にまで見た全日本チャンピオンとの1戦のために上京しました。この対局は少年の希望を笠原氏が快諾して実現。対局のこの日、中学生の父であり岡山市民病院の浅野院長は、夫人、令嬢そして対戦するその子息を連れて会場に現れました。緊迫した試合会場は、まさに真剣勝負が繰り広げられました。その日を夢に見てチャンピオンを目の前に闘う少年の気迫が、会場全体に広がりました。手に汗握る大熱戦の対局は終わり、なごやかに話す少年とチャンピオン、そして見守る家族。至高の1日を胸に本人も一家も大満足で帰路につきました。結果は63対1でチャンピオンが勝ちましたが、夢の1日の事は今でも忘れてはいないでしょう。
☆1980年 岡山テレビ女性アナウンサー
長男 武(小6:全日本少年少女チャンピオン)の津島小でNo.1の女子生徒と長男 武の対局を生徒が企画し、実現しました。対局の結果は64対0で武の勝利でした。その後、岡山から初めて少年少女チャンピオンが出た事で、岡山津島小に岡山テレビから取材が来ることになりました。取材中に岡山テレビの女性アナウンサーから記念にと筆者の私が挑戦を受けました。初対面で楽しい勝負ですが、これも真剣勝負。63対1で私の勝ちでした。
☆1982年 礼宮(あやのみや)様(現:秋篠宮様)対 谷田邦彦(世界チャンピオン)
当時、学習院高校1年であった谷田は、日本選手代表として出場した第6回世界大会(10,24於スウェーデン)で米代表のD.シェイマンに連勝(34対30、33対31)し初優勝、世界チャンピオンとなった。帰国した谷田は学習院高校で大歓迎を受け、先輩らにより優勝記念対局が企画されました。その企画のひとつとして礼宮様との対戦が企画されました。礼宮様から承諾を頂き、この夢の企画は実現しました。皆が観戦する中で熱戦が行われたこの伝説の1戦は64対0でチャンピオンの勝利でしたが、オセロ対局での爽やかで楽しい企画となりました。
☆2007年 有名演歌歌手H.Kさんとディレクター
上野にオセロセンター(オセロの打てる集会所)のあった頃のある日に、有名演歌歌手H.Kさんとオセロ地区大会入賞の女子小学生ファンと、ディレクターの3人が取材で訪れ、対局しながら歌手とファンとの対談を行いました。対局は和やかに行われ対談も終了というところで、突然ディレクター氏より、記念に筆者の私と1局と挑戦されました。やはり、手抜きは失礼にあたります。ディレクター氏との対局も64対0。筆者の私の勝ち、大円団で終了しました。
☆2008年 紅白出場 音楽パフォーマンスグループT.A
筆者の私にグループメンバーが挑戦して、もし勝利すればグループには景品が渡されるという企画でした。そこには若さみなぎる多くの男女がズラリ、「対局希望の方?」と私が言うと全員がハイと答えて元気よく手を上げます。中央付近にいて手を上げ乍ら一歩二歩前進してきた好青年と対局開始。青年は強い打ち手でしたが、全員がかたずをのんで見守る中、結果は64対0。
☆2015年(6/17)将棋竜王・糸谷哲郎 対 キング・伊藤純哉(オセロワールドカップチャンピオン)
これはもう皆様ご存じ、昨年TBSの番組で放映された将棋竜王の糸谷哲郎(26)対キング・伊藤純哉(27)のオセロ1番勝負。
結果は56対8でしたが、対局前に糸谷竜王が「世界チャンピオンと対等の条件で打てるのは光栄です…。将棋もオセロも読みが勝負です。あわよくば…。」と謙虚に語った言葉が印象的でした。
オセロの楽しみ方は、人それぞれです。しかし全ての出会いや楽しみはオセロの真剣勝負から始まります。考えに考える事が楽しいのです。さあ、皆さんオセロを楽しみましょう!
長谷川五郎プロフィール
1932年 水戸市生まれ。オセロの考案者。
現日本オセロ連盟会長。囲碁・将棋五段、チェスも得意。
2015年3月より第40回世界大会(2016年)に向け
「オセロを創った男~五郎のオセロちょっといい話」の寄稿を開始。